いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

異業種の風景

祝福を。

かなり久しぶりの更新になりました。私はどうにか暮らしております。思うところありながらも、年度初めよりは楽しく暮らせているでしょう。

転職して一ヶ月と少しが経とうとしている。
通勤圏は変わり、目に映る風景も、やっている仕事も扱うモノも、毎日会う人々も大きく変わった。制服ありの仕事も初めてだが、着てみると思いのほか軽くて動きやすくて、ちょっと大きいけど、今さら28℃の室内にスーツ着て仕事なんてしんどいなと思う。もっともそれは今の作業を冷房の室内でやっているからで、屋外での工程となると想像するだけで背筋が冷たくなる。熱中症には要注意で、
それをやる頃には完全にオフィスワーカーではなくなる。

さて、この職場には月イチ早朝出勤のお当番とか、飲み会など行事前の早上がりとか、変わった慣行がいくつかある。これらは意識の旧弊さというより、たんにオフィスとしている建物がおそろしく古いことに起因している。街中でないだけあって、化粧室や机にはたまに大きな虫が張り付いている。耐震施工など入ってるとは思えないが、その割には繊細で取り扱いに注意を要するモノを保管しているので、もしもの時はどうするのだろうと首をかしげてしまう。

チームを組んで働くのも初めてだ。いや厳密にはいつの職場も同じ業務を複数人数で担当していたし、そこには管理職も責任をとる正社員もいた。が、一つの事業を決まったメンバーで工程ごとにこなしていくやり方は今回が最初である。

その担当者かつ責任者である直属の上司に、私はついて仕事を教わっている。仕事の計画も全体像も、何でもよく話してくれて、教えることは格別に上手く、また人に教えることが苦にならない人のようで、これにはとても救われた。前にも書いたが、就職氷河期世代、また私の同世代でも非正規でキャリアをスタートした者の殆どは職場で部品のように扱われ、まともに体系立って仕事を教わる機会など与えられなかっただろうから。というか何より、この歳で新人として丁寧に仕事を教えてもらえること自体が滅多にない機会なことだと解っている。

この恵まれた求人の条件は、私にとってこの上なく有難かったものの、実は最大の謎でもあった。が、ひと月を経てその辺りの事業所側の事情も少しずつ解ってきた。色々あって、上司は相当に悔しい思いをしたのだろうが、結局はその案件を呑んで、受け入れを引き受けた。

一緒に作業しながら上司は扱う対象のレクチャーだけでなく、自分のこれまでのことを話してくれる。この事業所に来る前にいた会社。人間が使い捨てにされること。それは私も散々見聞きしてきたが、技術職の業界は私には未知の世界だ。

今の仕事を通して業界の仲間の救いに繋げたい、と言うその眼は険しく野心に満ち、歪んで、烈しい屈辱に裏打ちされている。その憎悪と怒りが決して自分に向けられたものでないと解っていても、はっきり言って怖い、離れたい、とその時ばかりは思った。

とはいえふだんはルーティンワークに集中している。その人が研究対象を手にとる時、そしてチームメンバーの作業が正確だった時、「素晴らしい!」と言って下さる。その眼は誰よりも嬉々として愛情に満ち、私たちは暖かな空気に包まれる。

それ自体のために。

その時の雰囲気に最も合致するのはこの言葉だ。仕事だから利害も駆け引きもあるのだろう。だが一切の外在的目的を外してなお純粋に何か対象に接近することがある。どんな仕事も研究も創作も、そうしたアプローチに支えられて成し遂げられるのだろう。

とまれ、そういう所作を見るとき、私は憂いを差し置いてここへ入職できてよかったと思うのです。