いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

その人の鼓動

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川原である。

一日の訓練を終え、残って練習も終え、息抜きに出た。

繁華街を抜け、ほぼシャッター街と化した商店街を抜ければもう河畔に出る。コンパクトシティは素晴らしい、のだろうと思う。中心街から徒歩で自然の中へ、また生活臭の残るエリアへ散歩できるのだから。

学校であれカフェであれ、こうして木陰や草むらの中に居てさえ、想起するのはつくづく同居している両親の多忙さである。

母は、60歳を超えてなおパートで働き続けている。それも同じ雇用先で二つのエリアに、だ。一日の労働時間はトータル8時間。しかしそれは2エリア合わせてのことで、しかも完全な時間外労働である発注の仕事を2エリア分持ち帰りでこなしている。その上片方のエリアは交代で土曜出勤もある。この働き方がもう十年以上になる。
今はまだ良いほうで、2年前まではさらに別の仕事を土日にやっていた。で、私生活では土日は実母の介護のため、住んでる自分の住まいを離れて市外の祖母宅へ。こんな生活がもう四年以上続いている。

その上平日は家事をやっている。私もやるが、実家の家事はあまりにも無駄なモノや作業が多いので、仕事を優先せざるを得ない時はどうしても離れてしまう。でも母は、朝は7時過ぎには起きて、発注の仕事をして、階下で朝食(自分でやることも父がやることもある)をとり、午前中は洗濯物干しと、なんと夕食の準備をする。そのあと午前中の出勤。昼過ぎ帰宅して、夕方から夜までまた働きに行く。

ご想像に難くないと思うが、こういうスケジュールをこなすには世間一般の人のおそらく数倍の体力と機転、段取り力、決断力、器用さ、ポジティブさがないと立ち行かない。それは本人も最近自覚し始めていて、また本人の自負でもあるのだが、それを肯定することは、色んな意味で寛容さの対極と言える何かへの加担だと思ってしまう。


職業訓練には、前職を様々な「思うこと」があって辞めた人たちが来ている。長時間過重ブラック労働で「こんなとこやっとれんわ!!」と判断し、心身が潰れる前に辞めた人だっている。その判断は正しくて、いかに今モラトリアムに見えようと、二つとない自分の人生を守るための選択だったのだから、まともな決断だったといえる。そういうギリギリの選択をした人が、母のような者を身近に暮らしていたら相当追い詰められるだろうな、と思う。

団塊世代後期高齢者入りする 2022年問題は、若い世代が個々の人生時間の使い方が、これまでのどの世代よりもアンバランスになることへの危惧をその根底に置くべきだ、と私は思う。介護はとにかく介護する側がされる側に一方的に時間を割かなくてはならないのだから。しかも子どもへのケアとちがい、成長して手を離れるという時間軸はあり得ない。老いの受容と看取りがそこには含まれる。


母を見てると、もう常人とは心臓の打ち方が違うのではと思うときがある。それくらい、短時間で多くのタスクを回しているのだ。人手不足社会。どこまでも固有であるはずの、その人の脈拍、時間のリズム、鼓動を大事にする思想や制度が、私は必要だと考えるのです。