いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

人生が変わるということ

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職業訓練が始まった。久々の学校生活は何というか本当に「学校」で、教室に集い、先生の授業を聞き、タスクを一斉にこなし、授業の合間に規則正しく休み時間を設け、掃除当番まである。

近代から始まったこういう学校の制度やスタイルが合わない人はもちろん居る。そういう人たちは機会と方法を得れば独学するか、また学びたいスキルをもつ人の集まるコミュニティへ飛び込んでOJTかインフォーマルな学びで知識や技術を会得するのだろう。今はもう近代以降に自明・前提とされてきた制度や機関や心性や規範が崩れているのだから、そうした層には有利な面もある。ただし、学校という場がなければ学習機会にアクセスすることができないケースの人たちが一定数居ることは忘れてはいけない。


さてこの2ヶ月間詰んだ終わったとしたためてきた。雇用保険は心もとない額で、受講料は無料とはいえ保険加入やテキスト代や諸々の準備で何かと出費もあり、来月くると思われる住民税と国保の金額と奨学金返済を想起して息をのんだり、任意受験の資格受験料の高さに唖然としたり。それでも今日になってようやく解ってきたことがある。

私にとって前職とは、たとえば完成された壁のタイルやモザイク画の1ピースのようなもので、それが欠けたところで外観が多少損なわれる程度の欠損でしかなく、別の物で埋めても放置しても完成図の本質にはさしたる影響を与えない何かだった。

そんなふうだから会社を辞めたことをどちらかといえば自然に、乱暴に言えば軽く考えていた節がある。が、意外にそうでもなかったことがわかってきた。

前職はあれこれ問題だらけながら、まがりなりにも私に「世間並み」を裏づけ、世間一般の囲いに繋ぎ留める留め金のようなものだったのだ。それは前職が大事だとかかけがえのない社会的つながりの場だったなどという意味では、断じてない。

いろんな意味で「これまで通り」「現状維持」「変わらずに居ること」の象徴であり、そう在るための回路だったということです。

私は 「働き方、住まい方を変える」実践をしたくて、その試行錯誤を記録しておこうとブログを始めた。それは人生の軌道を変えることだ。そしてその実践は自分という絵の輪郭の一部だけでなく、像そのものを変容させる。だから、退職を機に全てに近い諸々のことがこれまで通りに行かなくなるのは当然のことかもしれない。今はまだ序の口なのかもしれない。

経済的にはヤバイ状態なので、何とか次の稼ぎを確保したい。でも辞めたことは全く後悔していない。県外移住はうまくいかなかったが、退職そのものは家族のいう「見切り発車」などでは全然なくて、むしろ早く自己都合で退社するべきだったという悔いのほうが強い。

そんなわけで、ほんの少し、この間の出来事を受け入れて気持ちを切り替えることができたかな?と思う。来月の今頃何を書いているかわからないが、つまずきも公開すれば誰かへのアドバイスになるかもしれないと思ってぼつぼつ記していくつもりです。

写真は近所の猫。家々の陰は人間の生活臭とは異なるたたずまいをたまにのぞかせてくれます。