いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

AIおよび機械化と事務作業


 人工知能(AI)の導入は事務系労働者を一掃するという。事務職のほとんどをAIは代替できるそうだ。ネットを叩けば「人工知能の進化・導入によってなくなる仕事」関連の記事は山と出てくる。事務職はその代表格らしい。Excel表計算もグラフ作成もAIなら容易く処理できるため、人間が覚える必要はなくなるという。データ入力も人の手がやる必要はない。AIでなくとも、労働力不足で生産性を上げるために機械化できる作業はどんどん機械に置き換えたほうが合理的とはいえる。

 解ってはいたのだが。想像はつくのだが。

 そうすると訓練で数か月学んでも数年後にはお払い箱というわけか?

 しかも前職収入がアレなせいで雇用保険の額が微妙であり、その上訓練受講による給付日数の延長が生じるため働いて減額された基本手当の分は最後の月に繰り越すこともできない。薄給な職場に居るとろくなことがない。前職の給与が低すぎることがとにかくネガティブな影響として何にもついてまわる。

 ただ「AI導入で消える仕事リスト」を見ると、前職は会社ごと吹き飛ぶ予定なので何にせよしがみつく必要はなかったといえる。


 経歴や取った資格や免許が使えない、という事態は前にも経験している。

 教員免許は更新制になった。別の資格は専攻要件を満たせないことが多い。

 前者は上位免許も取得したのに、その後教育とは無関係な仕事に就いたため、生かしたことはない。教育労働がどれほどブラックかも弁えている。が、なまじ免許を持っているせいで経歴の整合性が問われるというか、就活に不利なことが多くてもう手放したほうがよいのではと思う。


 いわゆる大卒文系ホワイトカラーは不要になる、というのが時代を読めている人たちの未来予想図らしい。英語+プログラミング、加えて営業力と発信力!モビリティ!...転職につまづき、住む場所も変えられなかった自分からみると正論はもうあまり見たくない。

 それにしても事務職を軽く見る人たちは、業務の中身をどう考えているのだろう。事務作業ができることと、事務職であることはまったく別である。今どきどこの業界でも何かしらPCを使ったり文書を作成したりしているんだから作業のやり方さえ覚えれば誰でも代替がきく-、そんなところか。

 たしかに代替は可能だ。事務職のほとんどは派遣労働者に置き換わりつつある。が、それはスキルがあって事務一般を知っている人材に限る。当然だろと思うかもしれないが、世の中にはデスクワークがどうしても不向きな人がいる。

 デスクワークができて、事務作業じたいがこなせる人でも、事務に専念するポジションで相応のパフォーマンスができるかはまた別となる。大量の書類、データ、情報、それらを管理し統治する視点が必要となる。

 そもそも膨大なモノや情報の分類・整理・管理には固有の技術が必要であり、そのため専門職となっている仕事もある。図書館司書は大量の本や資料を管理し、秘書はスケジュールを管理する。で、事務職は文書やデータ管理の延長上にあると思うのだが。


 さらに、事務職は肉体労働ができない人、対人業務の苦手な人、軽度障害をもつ人の受け皿でもある。技術革新で仕事を追われる人々はいつの時代にもいて、私もその一人になるのかもしれないが、一般論に則った人たちの言うAI導入は、ヒトの生き方や役割の幅をかえって狭めるのでは?

 AIや技術化についてはもっと書きたいことがたくさんある。ただ今は、現時点で自分が完全に時代から取り残されることがほぼ決まったようなものなので、残りの人生の埋め方を工夫しなければと思っています。ほとんど自棄に近いが。