いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

一日と十年後

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祝福を。前職を辞めて1ヶ月と7日を経た、いわきびです。

連休は基本、在宅していた。夕方買い物や飲食に出るくらい。家に居ると、煮詰まる。その前に地元に居ると煮詰まる。眩しい青空が忌まわしい。どこかへ出かけてアクティブに活動して命を燃やしていなければ価値がないかのように思えてくる。今しか読めない本、外国語の記事や教材、手元に広げてもそれはたいしたスピードでは進まない。なにかアルバイトを、と検索するももうすぐ始まる職業訓練との兼ね合いから期間や時間帯が制限される。

その職業訓練もイマイチ納得のいかないことがある。地元に残るとしても最悪これなら次に繋がるだろうと、退職前さんざん調べて窓口で説明も聞いたコースの内容が、いざ4月、新年度になり今年の詳細を見てみると、最も自分がアテにしていたメニューが無くなっていた。ここ数年、ほぼ同じ中身で運営してきたコースがである。

いちばん手っ取り早いのは3ヶ月以内でも良いから派遣で働くことだが、周囲と折り合いがつかず、通勤コストが痛手だったりした。複数登録してあるので他社の紹介に乗るのもよいが…。

ーどうしてもっとよく考えてから辞めなかったのか。

家族に言われてもこれはちがう。さんざん動いて調べたのだが、ぜんぶ中途半端で結局ドツボへハマって今にいたる。それだけである。第一時給が低すぎて雇用保険給付もどんな額か想像がつくので考えたくない位の前職を続けていては、状況の変化などあり得なかっただろう。


自分の立ち位置、置かれた立場の定義がよくわからない。どこに焦点を合わせるべきか、時間軸が定まらない。

人間には二通りのタイプがあるという。

一つは、十年後、二十年後など遠い未来に目標を定め、それに近づくために日々活動することが向く人。

もう一つは、「いま・ここ」に視点を集中し、どうしたら毎日を楽しく生きられるかを考えて日々を過ごすことが適する人。

前者はビジネス系自己啓発本でよく紹介される姿勢で、何かを成し遂げたい人には大抵こちらのアドバイスがなされる。いわきびがこれまでの人生で影響を受けた人も、この姿勢をやたら推奨するタイプだった。

しかし、今から8年前、本当に身の振りが行き詰まった時に自分を救ってくれたのは、後者の姿勢だった。

やり方はわからないが動いてみる。一日の、その日でやれるタスクに集中して進んだら喜ぶ。進まなければ反省でもして待つ。その繰り返し。目覚めの時に目に映る光景が好い、料理がうまくいった、買い物したら店員の対応が良かったなど、すべての良いことを集めて肯定する。

それはふりかえれば一つの軌跡であり、それも独自の道である。

時間性を持たない神の創造とちがって、人間の制作や行動はどうしても意図と成果の間に時間差やズレが生じる。料理ひとつとっても、同じレシピでも作り手や技術の巧拙、季節や食材の状態によって全く同じものが出来るとは限らない。
願いの実現も同様で、来年や数年後など自分も周囲も変化するのだから、自分の望みなどどう変わるかわからない。

いまや、デザイン・イメージ・コンセプトと実現までの距離は最短化しつつある。技術の進歩によって。

しかし、何かが実現すること、事態が出来すること、行為が成立することのなかに満ちる偶然性に対して、より注意ぶかくありたいと思わないだろうか。

虚空をさまよう蔓植物の芽が、ふとした足場から無二の草姿を開示するように、その時その場の条件で成した行為の積み重ねが、誰とも置き換えのきかない生のフォルムを形作ることを、いま一度胸のかたすみに置いてみたいのです。