いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

人はみな桜の下で

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祝福を。

河原は日が暮れるにつれ冷えてきた。にもかかわらず、出店も街灯もろくにない堰堤へ皆敷物と食べ物を持って三々五々花見を始める。

私もその一人である。すぐ後ろに車道を控えた河原の緑道に連なる桜目当てにビールとアテを携えベンチへ。対岸にはスーパーがあり、橋を渡ればトイレも飲食物も困らない。

車のヘッドライト、マンションの明かりが目立つ時間帯になっても子連れやカップル客はひきもきらず来る。ボール遊びをしたり、写真を撮ったり、ペットと歩いたり。思い思いのスタイルで今を楽しんでいる。

気がつけば花の季節になっていた。転職活動と転居をめぐるあれこれで、あらゆる選択肢を試しては壁にぶつかり、別の道を試し、周囲の反対や資金難で方向を変えたり、その間職場の引継ぎと後始末をした。

条件が整うなら地元で暮らすことも厭わない。別に両親と同居することも、こちらに家があって地に足をつけた暮らしを送ることも、それ自体恥ではない。

ただ、それをしたらせっかく知り合えた遠方のお友だちと縁が切れてしまいはしないか。もちろん私の意志も事情も知っていて、今回の一連の出来事をよく分かってくれてはいるのだけれど。

ここへきて、ようやく自分の限界を冷静に見極めてはいる。無茶をする気などない。ないが、「人生は一度きり」「どこへでも行ける」「環境を変えるべき」などの意見をSNSで見るにつけ、自分の今の立場はどのように肯定されるべきなのだろうと思ってしまう。

花明かりは好い。酔いも回る。しかし、私の心中は妙に冷静でもあって、何かしらの情感に浸ることを拒否する自分がいる。

実家で暮らし地元で働きながら作れる「攻め」の体勢とは何か?勝てる市場をどう作るか?こんな問いを完全に放棄することはできないいわきびなのでした。

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