祝福はいずこより来たるや。
写真は電停横の花壇です。
今月に入ってからもう全てが詰む方向に行ってるのではと思うほどうまくいかないいわきびです。
この時間記事を書くのは初めてで、それも今日はまたしても、ぬか喜びで終わる出来事があり外出先で立ち往生して迷走、カフェへ退避。
久々に就活以外で四国を出られるかと思ったらそうはいかないことがわかり、電車賃を使い、不足していた靴下とカーディガンを買い、朝昼兼ねてパンとコーヒーをカフェでとり、本を買い今に至る。
この金額だと岡山への片道バス切符代にほぼ等しい。どこまで萎縮してみみっちい心配をしているのかと情けなくなるが、あと切らしていた味噌も買わねば、私鉄のカード料金もチャージせねば、何でこうお金が出ていくかねと生きてれば当たり前のことをぐずぐず考える。
ふりかえれば仕事を辞めてまだ5日しか経ってないのだが、秋からの職と住まい探しを考えるともうすでに半年くらい身の振りが定まらなかったみたいに感じる。
予想外のことは、ある。
アテにしていたことがアテにできないと判明することも、ある。
それは良いとして、いわきびが嫌なのは人生の方向転換が振り出しに戻ったかマイナス地点まで行ったか、家族ほかの反対で実現しないか、それやこれやでこの状態が固定化してしまうことである。
本を広げても気づけばバイトほか求人を検索している。
何もかもが中途半端で身動きがとれない。
自分の意思や努力で変えられることは何なのか、それもわからない。
権利としてもらえるはずのもの(失業給付)も、既存の制度でアクセスできるもの(職業訓練)も、今回は下手に使うとかえって制約だけが増えて不利にはたらくようだ。
現状の定義はたんに「スキルアップを望む失業者」のはず。これに、あるていど手に負える残額となった奨学金返済が加わる。
損が出ないようにクラウドで引き続き書く、短期バイトに着手、失業者をつづけるメリットが本当にゼロと分かったらまた派遣で応募しよう。もうそのくらいしかできることが思いつかない。
それでも笑えるのは、前職を続ければ良かったとは微塵も思わないこと。も少し早く辞めていればなあ。パートでも時給が良くて賞与のつく仕事はいっはいある。加えて飲食業は本当にきついけれど、金額だけみればお蕎麦や牛丼を売る店の方がバイトの時給が高い。あんまり悪くも言いたくないが、いくら社保付きでもあれ以上前職に囚われていたらもっと世間から取り残されていただろう。
さあ残り半日を命が喜ぶように生きよう。思うところ他にもっとあるので別途記事も書こう。読んで下さる方がどのようなお立場か存じませんが、良き毎日をお過ごしください。