いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

善は自ら拡がりゆく

祝福を。

転職移住作戦の旗色は以前良くなくて、今日は雇用保険受給に3ヶ月待機期間が入ることが判明した。別に年度途中や契約途中で突然辞めたわけではないのだが、会社側が契約更新を提案したのに対してこちらがそれを断った、というケースは自己都合退職になる。

ここ数日書いているように、生活保護以下の給料なので雇用保険は受給できてもアテになる金額ではない。せいぜい国保などをまかなうのにあてる位で、それで食いつなぐなんてのはもともと無理な話だ。それが、3ヶ月の待機。働けばよい、次の仕事が見つかっていれば問題ないことではあるが、もうとことん上からもらうものや、すでに在る制度や場には何の期待もできない状況が明らかになりつつある。

で、何の話だっけ?

そうだ、本当に善いものは、すでに自足していて満たされていて、自らの内にとどめておくことができずに溢れ出す、というメタファーを思い描いていた。それは、太陽の光や泉の水に喩えられてきた。神によって創造された世界は、全能かつ至善の神がその善性を分け与えられたがゆえに、善い。ここにあるすべては神の被造物であり、その存在は神から与えられたために、善い。かくて自分と自分をとりまく世界への肯定が成る。

その肯定は神にしか根拠をもたず、外在的な目的や条件に規定されない。人間の側からみて、無条件と言えるだろう。何かの既有の枠組み、物理的制約、条件、因果関係に該当しないいのちの姿を説明することは人間の言葉では不可能で、近世まで神という概念が必要とされた理由は実は世界を説明するため以上に、いのちの真実なあり方を記述するためだった側面があると思う。

神の言葉によってのみ言語とそれが指示するものとの一致をみる、その自由な世界は、機能不全などあり得ない。だが心を砕き、言葉を尽くし、誠意を傾けてなした行為が空転することは、現代の人間の現実ではザラである。

それが解っているから人は、書くことや描くこと、撮ることなどをとおして異なる現実を創り出そうとする。すべてがまにまにありながら秩序をもち、目的に合致し、滞りなく狂いもなく機能する世界。SNSによる発信には、そうした世界への渇望も見てとれる。

無条件かつ根拠を問わない、存在の肯定と信頼へ向けて。自ら溢れ、拡散するという善の性質に連なるように、みんなネット上で言葉をつぶやき、同じ価値観を持つ誰かをつながり、今いる現実とは別の現実を創り出そうとしているのかもしれない。

そう考えると、金や労働や制度のことでの格闘は自分にとって何か意味あるのだろうか。いっそ無職の時間を利用して上記関係のことを考え続けたくとも、今の住まいを変えないと時間の使い方を自分仕様にできないので、さてどうするか。もう出勤はするだけムダなので、有給の振り替えを使い最終出勤日までに引継ぎを終えよう。職業訓練も、求職者支援訓練と公共職業訓練のちがいにこだわる必要はいまや無いのでしたければ申込だけ願いでよう。

この二週間ほど書類作成と試験旅行であまり寝てないので、できれば地元を離れて旅先の宿で早くからゆっくり寝たい。そのための旅費は、ある。締めの言葉が見つからないのだが、読んで下さった皆さん、よく生きて下さい。