いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

住まいと、譲れない一線

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残業を終えてまっすぐトラムで帰る。家ではシチューが煮えていて、父がちょうど食べ終え、いわきびは席につく。平日夕刻からの仕事に出た母を迎えに父が出払っている今、食べ、一息つき、食器を洗い、できれば弁当を詰めて風呂へ入っておくのが望ましい、と解っているがこっちもゆっくりしたい。


風呂、食事、 台所にたつ時間、寝る時間。どれも自分のタイミングと決定でしたい。ものを書いたり文献を読んだりノートを作ったりという作業にはその自己決定が存外コスパに関わる。少なくとも私にとってはだ。
一人暮らしの時は当たり前だったそれらのことさえ、家族で住むと難しい。こんなんで友人宅居候だのシェアハウスだのがはたして選択肢と言えるのだろうか。やっぱり一人暮らしはー生活の段どりと様式を自分仕様にすることーは、今の自分には譲れない。

仕事と住まいをどうするか、で毎日案が浮かんでは試し、消え、資金計算ばかりしている。
こんな記事を見つけた。

「空き家大国ニッポン」のゾッとする近未来〜首都圏でさえこの惨状…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51118?page=3

不動産は、維持するだけで莫大なコストがかかる。固定資産税や相続税、クリーニング費用、メンテナンス諸経費を考えると財産というより負債である。どんな住まいでも人が住まなくなればあっという間に劣化する。そういう物件が、今の高齢者層が亡くなるにつれ、規則的に、あるいは一気に顕在化するだろう。「家余り大国ニッポン」。統計なんか見なくてもいま住んでる家の隣が空き家だし、近所には空室の埋まらないアパートが何軒かある。

その一方で、住まいを失った人のこと、ホームレス状態の人たちのことを思う。遠くの地で先行きが行き詰まりジタバタと、震災を経て自分を支えてくれたのは雑誌ビッグイシューとその販売者さんだった。「私の歳になるとですねえ、(生活再建は)もう一足飛びにとはいかないんですよ」というつぶやきがよみがえる。今の自分もそれを実感する。お金がたとえ潤沢にあっても、生活を継続する見通しがないとなかなか現状を抜け出せない。

もし何の制約もなかったらどうするか?たぶん人と住みたいとは思わないだろう。当該家賃と共益費と敷金を一年分先払いすれば住める制度を前に、そのお金は返済に回したほうが良いんじゃないかと昨日から考えはじめている。それだけ払えば負債は半分以下になるし、完済はもっと早くなるからだ。雇用保険もこれまでの賃金が生活保護以下なので、アテにできる金額ではない。だがこのまま家族と地元に住んで、自分には何が残るのか。

既存の場にすがることから距離を置いて、金も仕事も場も自分で生み出す方向に切り替える。それが良いとわかっていながらじゃあそのための資金作りはやはりまだどこかへ勤めて…という後ろ向きな考えが頭をよぎる。

期限を切るか。退職は決まったのだから、あとは別のものが流れ込む余地をつくる。

写真はどこかの民家のハクモクレン。ソフトクリームみたいな匂いやかな面立ちです。