いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

畑違いの優越

異業種で転職した人は、自ずと未知の世界に足を踏み入れることになる。それは単に雇用先が変わるだけでなく、基本的な価値観、求められる素質、評価される振る舞いが以前の職場とは全く異なることを意味している。そこへ違う文化圏の地域へ移住が伴えば、その変化が引き起こす揺さぶりはどれほどのものだろう。

私は学生時代に複数の大学を経験した。専攻も変え、地元を出て上京した。一度目の非正規学生生活はそこから始まる。

そこでの生活は、自分が「正規の学生でない」こと、専門外なこと、知名度の低い田舎の学校卒なこと等に起因して、決して有利ではなかった。人から紹介される時も「畑違い」と言えば良いのを「お門違い」呼ばわりされたり、何かにつけ「部外者であること」で肩身の狭い思いをした。

次の土地では正規の学生生活を送ることになる。だがここも、もともとの学風はあまりオープンではなく、その文化圏内で随一の水準と知名度を鼻にかけ、時に部外者への風当たりは厳しかった。で、たまたま自分が所属したコースというのがメンバーの殆どを留学生と社会人が占め、数少ない同年代の専業学生はそこの生え抜きで、これもいわきびとは異文化で育った者たちだった。選んだ専攻も今思えば確たる歴史や伝統をもつ分野とはとても言えない。その上メンバーの中には自分を含めその分野の基礎をロクに知らずに来る人もいる。
そうなると、そこは共通の前提というものが全く見当たらない者どうしの寄せ場となる。何一つ共通のバックグラウンドを持たない、世代も文化も実力も、その前に日本語力も異なる者たちが箱庭で利害の一致不一致に汲々する様は振り返れば歪で滑稽だった。

三度目の「転向」はちょっと変わっている。進路が行き詰まり試行錯誤の末、苦肉の策の一環で、同じ大学の違う研究科にて免許取得のために一定数の単位を取ることにしたのだ。そしてこの時期こそ自分にとって一番実り多く、進学して良かったと思える日々だったのだから皮肉である。

選んだ授業のあるコース内には、自分の所属以上に多くの留学生がいた。学外生を受け入れ慣れているのか、ちょっとしたやりとりにも「相手は自分と違う文化から来た人」という前提が生きている。そして、年齢も、文化的背景も、語学力も、学力も異なる人たちを相手に何かを教える場では、ルールを作って平等に厳しく接することが実はいちばん平等なケアだということを学んだ。

何よりそこには下積み時代を畑違いで苦労した軌跡の若手教員がいて、何よりも励まされた。こういう人は、少し位部外者が的外れな問いや発言をしても簡単に怒ったり嗤ったりしない。相手が、生え抜きとはちがって「見よう見まねで無意識に身につくその分野のハビトゥス(慣習行動)」を持たないことを知っているからだ。そして、学びのほとんどの契機は何かを知らない・解っていないところから出発する。子どもと違う大人の学習は、そうした未成熟さを糧に他者との共同を育んだり、生い立ちも価値観も社会的立場も異なる他者を知ることによって世界を拡張していくことを、当事者がもっと意識的に行うことにポイントがある。

畑違いであることは、最初は不利益ばかりだが、ふりかえれば生え抜きが決して意識的に学ぶことのできない所作や技術のベースを、異なる視点で見ながら身につけられる。移動する者は転向、漂流、色んな呼ばれ方をするけれど、その道ひとすじや生え抜き定住者が偉いというおかしな前提を問い直す良いきっかけを持つ有利さがそなわっていると思うのです。