いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

自分仕様の労働比率

祝福を。皆様にはどんな一週間でしたか?という問いは何だか不規則勤務の人を排除しているように響いていま、違和感を覚える。

働き方について、学校・役所的なリズムがいわきびは気に入らない。具体的には8時すぎ〜5時すぎフルタイムで平日週5勤務、というあり方です。これは融通がきかない。

帰郷して最初の仕事は公休が月曜、それ以外はシフトで主に週1休みをとる、という働き方だった。これはけっこう便利だった。平日なら役所も銀行も病院も空いている。しかも空いている。フリーで稼げるようになったら、これが当たり前になるのだろうか。いや実際には3日以上入浴もせずろくに寝ず年金や健康保険料をどう払おうかとキュウキュウだろうか。 とにかく平日休みの方が良いと口にすると、ある人たちは子どもが居たら土日休める方がいいのよと言う。そりゃ子どもを学校で人質にとられてるからだろう。

ところで、その仕事はかなりの遠距離通勤だった。通勤が暮らしに占める負担を思い知らされたのがその頃だ。電車とバスを乗り継いで家から職場までトータル最大2時間。雨や冬の日がどうなのかはご想像いただけると思う。有期雇用なのが今思うと幸いだった 。

長距離通勤は、ただ行き帰りに時間がかかるだけでない。生活時間のすべてをこの通勤に合わせて繰り上げなくてはならない。たとえば朝7:00発のバスに乗るとして、起床はその二時間前。その時間に起きるために前日の夕食や風呂を早め、やりたいことを脇へ押しやって床に就く就く。家事は通勤時間から逆算して全部前倒し。が、そんないい子なことがストレスフルな労働生活でいつもできるわけはなく、今日という日に満足しないがゆえの夜更かしをよぶ。

どこかへ勤める働き方は、いくら定時で帰れても拘束時間は決して8時間になど収まらない。通勤時間、業務の段取りを考える時間を含めたら文字通り仕事中心の生活が待っている。ただ、同じ時間数でも仕事が人生に占める比率がさまざまなだけである。だから私の母などは、平昼二つの仕事をかけもちし、時間外風呂敷残業を持ち帰り、週末介護という生活を第三者から驚かれても「たかだか8時間働いてるだけ」と言い放つ。

さて。正規にもフルタイムにもこだわらず、少ない収入で暮らせる、自足できる技法を見出したなら。人生の時間比率も、生の技法も、自分仕様に作り変えていこうではありませんか!