いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

掌の中の宇宙

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祝福を。写真は先週撮った街中の紅梅。良き香りがします。さて前進しては壁に立ち止まるいわきびです。身を置く環境を変えることは労力も決意も要る、やるべきことの手順さえ「あれ?!」となっています。

欲しい情報はネットでいくらでも取ることができる。それこそ自分の注目株やランドマークの人をフォローしていれば、自分の意図とは関係なしに情報が拾えることがある。
それはいいのだが、自分の立場ー社会的身分や所属ーを考えるとSNSで話しかけるように気軽に事を進めるのは難しいことが現実にはある。ネット世界のフラットさと、現実生活の約束事には当然ながら大きな隔たりが存在する。

とはいえ、インターネットの普及と、ケータイをはじめ個々人が自分の通信機器を持つようになったことは、どれだけの人を救っただろう。とくにこの十年にみるSNSの発達は
個人による発信を飛躍的に容易とした。ブログもただの日記ではなく、決して置き換えのきかない個人固有の世界の開示ができるようになった。TwitterでもFBでもnoteでもタンブラーでも、自分が良いと思ったものを気軽に取り上げ、誰かとシェアできる。もちろん自分の所感を呟き放題だ。炎上や公私の弁えなさを招きもするが、たとえネット上でも個人が自由に意見を言えることの大切さは、田舎でいまだもの言えぬ空気があることに照らしても、強調しすぎることはない。

そして、ネット環境が整うにつれて明らかになってきたのはあらゆるもののフリーアクセス化だった。動画も音楽も個人の心情も、ジャーナリズムにもとづいた記事も、学術論文も、ネットを通して無料でアクセスできる種類のコンテンツが拡大している。
とくにスマホはその手のひらの中に、見たい世界を把持することができる。ブラック職場からの退勤後でも、煩わしい家事の合間にも、もうここからいなくなってしまおうかと思うお金の悩みの幕間にも、介護の切れ目にも、ギャン泣き子の相手をする片手間にも、
何かの待ち時間にも、リーディングリストを呼び出せば一瞬で大事な画像は蘇る。他ならぬその人の手元で。
そうやって、渦中の人も自分の命綱のような、一条の光や暗がりの水脈にも似た大切な情報と切れなくて済む。

フリーアクセスの実現には、無料というのも重要な要素である。キングコング西野氏が、自ら製作した絵本を無料で公開することを決めた。一番見てほしいはずの人たちが、お金を理由に作品にアクセスできないのはおかしい、と考えたことがその動機だそう。むろん彼の作ったコンテンツ全てが無料となるわけではなく、広告収入など別途実入りを確保した上で、だ。

耳目を集めたこの行動も、やがて主流になると私は思う。残酷な資本主義経済の一方で、純粋にコンテンツの社会的意義ー社会貢献、面白さ、新しさなどーにもとづいて運営される、モノ・金・行為の実践が萌芽していると思う。今はまだモノgoodsの拡充にすぎなくても、しだいに善goodの自己拡散という、善本来のあり方が実現できるかもしれない。

そして、スマホタブレットや端末を通して発信されている各人固有の世界とは、文字通り各人の身体に現象する世界であり、余分なものを削ぎ落としてなお残るものこそ、手のひらに凝縮された宇宙だと考えています。