いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

自分語り

 2011年初夏から断捨離に励んできた。

 きっかけは東日本大震災震度6強の直撃を受けたアパートは無事だったものの、部屋の中はぐちゃぐちゃになった。天井まで五段ある木製の大本棚の中板は外れ、カラーボックスの本や他のモノたちも無惨に散らばった。片づけようとすると余震がくる。危なくて近づけない。仕事も通常業務に加えて復興事業に応援勤務の要請もあった。まあそのうち落ち着いたら元に戻せばいいやと考えて日が過ぎた。


 そんな折。旧い友人から知らせが来た。新たな人生のステージに立ったというそれは、その人と、その人を通して知り合った人脈の大半を失うことを意味していた。


 その時私は気づいた。人脈にせよモノにせよ、これまで努力して積み重ねてきたと思っていた諸々が、実はそうではなかったことに。

 受け入れがたい事実だったが、今思えばあの時期だからどうにか踏みとどまれたように思う。というのは当時住んでた県内には、何十年もかけて培ってきた仕事や家や家族を一瞬で失った人が大勢いたからだ。決して比較にはならないが、周りはとにかく非常時の空気が蔓延していて、ひび割れた壁や道路、閉まった店の蔭を買出しやお風呂を求める人が歩き、明かりの乏しい街の異様さに平常の空気を求めて精一杯だった。


 帰宅すれば、おびただしい量の本が目に入る。整然と棚に収まっていた時にはさして感じなかった違和感が、こうして傾いたり無造作に床に積まれたりするとはっきり迫ってくる。これらの本たちは、もう無用のモノ。趣味も仕事も学業も見栄も自己主張もないまぜになった歪んだ量塊。そして実は大半が、あの旧友と、その周辺の人たちの影響で買い集めた本だった。


 手始めに、週末30冊強をブックオフへ。それから毎週末、だいたい10冊以上の本を手放し始めた。自分は空っぽで、十年近くかけて積み上げてきたと思ったモノはみんな幻。そう思えば部屋の中の目に見える不用品は何のためらいもなく捨てられる。マスメディアで何となく耳にした「断捨離」本の立読みにも後押しされて、本以外の物もバシバシ捨てていった。


 だが、それで部屋が片づいたわけではなかった。問題はあの壊れた大本棚である。ここには手前と奥の二重に本が収まっていて、中身をかき出すのに一苦労である。市の粗大ゴミ担当はバラして板をまとめなければ回収できないと言うが、耐震施工で四隅に滑り止めを施してある上に外枠はボンドか何かでくっついていて、とても一人ではバラせない。


壊れたモノが放置してあること、それが毎日目に入ることは思いのほか歪んだ空気をもたらすものだ。私は折を見てどうにか本だけ救出し、床に山積みにした。


 そして2012年3月10日を迎えた。別に区切りがあったわけではないが翌日までにあの本棚を何とかしたいと考え、便利屋さんを頼むことを思いついた。ネットで調べて電話をすると、なんとちょうど近くに出てきているので数十分後に来てくださるという。そして、いったいどうやって外へ出したものか途方に暮れる私の横でその方は窓を全開にすると、本棚の耐震施工を外して軽々と持ち上げ、窓から運び出した。


 1階の部屋だったからできたこと。

あっさりしたものでした。


 それから一年半後、私は家電の全てを同じ便利屋さんに引き取ってもらい、部屋を退去して帰郷した。震災からその日までに捨てた本はゆうに700冊を超える。


 震災を機に、それまでメッキで隠されてきた問題が露顕したり、震災前からあった問題が震災前の図式や枠組では手に負えないと判ったりで、結局あの本たちはあっても役には立たないものだった。

  本を断捨離する過程で本当に情熱を捧げたい分野の入門書と出会い、着手した。もっと早くに、若く時間があり、お金のある時に出会いたかったと思わなくもないが、今日まで生きてこられて感謝している。


 ブログを読む皆さんの中にもおいででしょう。手離すことによって新たな道を拓かれた方が。


 自己紹介の一環として、この経験もシェアしていきたいと思います。