いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

紙片の効用

  今の私には自分でコントロールできることがわりと少ない。地元の地方都市で、両親と実家暮らし、かつチームワークの多い仕事となると、自分の選択や決定、采配で動ける余地などたかが知れている。

 

 そのことが、かつてどれだけ自分を苛んだか。

 

 台所もだいたい母が仕切り、父が食材をやたら買って好きなように使い、私が料理する時はたいてい食器カゴに溜まった食器や水切りしてある調理器具を仕舞うところから始めなければならなかった。冷蔵庫内の食材を確かめ、よし明日はトマトと卵の炒め物を作ろうなどと考えても翌日寝過ごして降りてきた食卓には切った生トマトに茹で卵が並んでいる。

 

 まあそうは言っても生活費は入れてるし、時間をズラせば好きなものを自炊することは可能なのだが、実家暮らしでこんなのは一例にすぎない。洗濯、お風呂、食事作り、食器洗い、全て家族の都合と段取りに合わせることは、長年一人暮らしでそれを誇りに思ってきた自分には想像以上に窮屈で気詰まりだった。

 

 家庭が大変な時に限って仕事もおかしなことが増え、坂を下るように状況が悪化する時がある。前職で、本当にキツイ時は自力で意のままになることといえば3ヶ月に1回変えるパソコンのログインパスワードくらい。あまり凝ったものだとそれすらはじかれ、たかがコンピュータやサーバーに自分は従属しているのだと改めて実感した。

 

 それでも唯一、自己決定で予定を制御するために実行していることがある。それは紙へのスケジュール書き出しだ。普段月ごとの予定をマンスリー手帳へ、週ごとの予定を雑記メモ用のA5ノートへ書き出しているのに加え、直近〜約5〜7日間のto doリストをメモしている。

 

 サイズはA4版裏紙を4等分したものなのでだいたいハガキサイズだろうか。これをまた四つ折りにして手元やカバンのポケットに入れておく。

 

 書くことの効用は凄い。漠然とした不安や後先の懸念、関係者へのモヤモヤはただ数個の箇条書きタスクへと落とし込まれる。とくに紙にペンで手書きだと、「わが手で始末をつけた」感がハンパない。

 

どんな難題も、この手のひらに収まる。

 

 いかに面倒なタスクも無味乾燥に紙片の一行にすぎなくなる。

 

タスクをこなして傍線を引くとき、私は自分でやるべきことを制御し征服していると実感できる。

 

 じつにこの紙片が友であり、伴走者のように思えてくる。

 

  本当はいちいち文字に書いて確かめる暇を捨てて身体と手を動かせる人間が、生産性が高く望まれる人間なのかもしれない。しかし私は世間や実体のない大多数の理想よりも、自分が納得ゆく日々を跡づけていきたいと思っている。

 

 

 

家はたんなるハコモノじゃない

 人が住まなくなった家というのはこんなに早く荒れ果てるものなのか。自宅周囲も空き家が目立つようになった。未曾有の少子高齢化で、空き家問題は今後ますます全国各地で拍車がかかることが予測されている。一方、マンションや戸建ては供給過多の風潮もあるという。人口の絶対数が減り、新たに生まれる子どもも減っているのだからその傾向もあるだろう。

 

 しかし「家余り」の時代なら誰もが気軽に希望する住まいへ入居できるかというと、決してそうなってはいない。住まいの貧困はいまだ存在している。  たとえば入居審査と保証人の必要は、ハウジングプアにとっていまだ立ちはだかる壁である。

 

そもそも空き家が増えていると言っても、住まいが「純粋な空き家」となるまでにはけっこう時間がかかる。私の近所には一人暮らしの高齢者が何人かいる。うちお一人はお子さんが同じ市内に住んでいるようで、時々そのお宅へ泊まりに行くらしい。おそらく一人ではできない用事や何かの手続きが要る時、体調が優れない時だろう。お子さんも親が心配で来た時は手を貸し相談に乗り、顔を見て安心する。ただ、お子さんにも自分の生活があるからべったり同居は難しく、高齢者当人も望んでいないケースがある。それゆえ何事もなければふだんは木造戸建に一人住まい、時々身内宅、もっと歳を重ねて健康にガタがくれば入院とかショートステイとかが増えていき、自宅で過ごす日は徐々に減っていく。どんなに健康な人でも歳をとれば一人ではできないことが増えていき、家や庭の手入れが行き届かなくなることもしばしばだろう。

 

 また、いくら空きそうな戸建があってもそれが入居希望者の生活ニーズとどうみても折り合わないケースもある。近くの学校密集区域には古い戸建住宅がたくさん残っており、住んでいるのは大抵高齢者夫婦だ。ここは街中で通学にも買い物にもわりと便利で子育てに適しているものの、家はほとんどが子連れカップルが住むには手狭だという。老朽化も激しくて親である老夫婦には愛着のある家でも、その孫を育て学ばせるにはスペース不足で安全面でも問題がある。ならリフォームすれば住むかというと、子世代の若い家庭に蓄えがあるはずなく、劣化した狭い家をわざわざ建て替えてまで子連れで住もうとも思わないため、仕方なく別居というパターンもある。

 

 かつて、増え続ける首都圏在住の高齢者を地方移住させ現地の医療福祉機関にケアを任せるという政府案があった。公的支援による高齢者ケアや若者の貧困対策をしぶる目的で、三世代同居が推奨されたこともあった。

 

これらの主張に共通するのは、住まいを余剰人口の容れ物か収容所とみなし、生存権を保障するインフラという視点を欠いていることだ。住まいは各人の生活事情にもとづく動線やサービスの必要を考慮してはじめて生活を支える場として機能する。それが、ひとたび生活困難を抱えた途端、無視されてしまう。

 

 たとえば生活困窮者に対する無料低額宿泊所の劣悪なサービス問題が指摘されている。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190301-00268225-toyo-bus_all

 

 

 災害の被災者に提供する避難所も、間仕切りなしプライバシーなし、酷暑極寒の体育館という環境が数十年間変わっていない。以前物議を醸した「東北でよかった」発言は、命からがら生き延びた被災地に住む人々を、あたかもある箱庭から別の箱庭へピンセットでつまんで移せる素材のように考えている。

 

 住まいの貧困の根底には、住居保障を人権意識とセットで考える意識の欠落がある。もし今後、本当に住居の空きが大量に生じるなら、そこへ住む入居者が十全に人間らしく暮らせるための環境として住宅政策やメンテナンスを施行するべきである。

 

 

 

一つの癖

 同居の父はたまに細かいくだらない家事のことで小言を垂れるのだが、最近落ち着いて暇ができたせいだろう。再雇用を経て完全に定年退職したのは四年前、その時から母方祖母の介護や父方祖父の入院&介護泊り込み→施設入居、父方祖母の家の片付け・通院など家庭はゴタゴタして多忙だったが、今は違う。母方祖母が他界してからようやくこの頃、両親は自分の時間を堪能し始めた。

 

 だからだろう、時々家族の些細なしぐさが気になるようで、私に言うのはボックス入りティッシュの取り出し方である。

 

  私にはティッシュペーパーの端だけちぎり取って使う癖がある。ちょっとその辺を拭く時、塗りすぎた紅を均す時、耳のかゆい時、引き出しや窓の枠を拭く時ー。

 

 小さい頃からの癖ではない。東日本大震災で被災し、お金があっても物資が手に入らない経験をして以来である。

 

あの日、ほとんどの薬局やスーパーが閉まった。数日後徐々に営業を再開するも、行列に何時間も並んだり、点数制限を課されたり、やっと入れた店で買いたい品が売切れだったりした。営業時間も短く、物流は途切れ、物資はいつ入ってくるか分からない。停電が続き、大半の区域ではガスも水道も止まった。灯油・ガソリンもいつものようには入ってこない。

 首都圏や他都市では計画停電が始まった。物流は本当にいつまともに回復するか、当時は全く不明だった。避難所では隣にいた夫婦がレンタカーを借りるかどうかでモメている。買い出しに行きたくてもガソリンのストックが心配、GSには長蛇の列、かつ営業時間はいつもより短縮である。そもそも停電で信号機が機能していない混雑した街中を運転すること自体ふだん有り得ない経験だし、時間どおり戻ってこれる保障もない。

 

 明かりのない街があんなに不透明でピリピリしたものとは、経験するまで知らなかった。明日がどうなるか分からないということが、これほどまで街の空気を閉塞感で満たすこともそれまで解らなかった。

 

 私は住居は無事だったので電気が復旧してすぐアパートに戻ったものの、できることといえばとにかく手に入れた物資や食料を節約して使い、店の営業再開や水の汲める場所をラジオやテレビでチェックすることくらい。ストックが切れかけていたティッシュと生理用品を何とか購入した私は、テレビの「ポポポポ〜ン」を横目に物資をケチケチ使いながらインフラ復旧を待った。都市機能が麻痺してしまえば個人でできることはたかが知れている。

 

 その後、津波にさらわれた地域に仕事で訪れたり、素性不明瞭な団体が支援の名目で入ってきて売名に努めたり、被災後少なくとも半月ほど街中のアーケード内が闇市と化すのを見たり、両親も地元の友人も決して知らない経験をした。ティッシュの変な使い方はそういう経由で成ったものだと思われる。実家の両親にはせいぜい、災害に備えて食料物資の備蓄や非常持ち出しのリストアップくらいしておいてほしいものである。

 

 

服と収入と立ち位置と

 かなり高額の買い物をしてしまった。来週末、久々に学生時代の同期や先輩、先生と会う機会があり、聞けばかなり盛大な集まりらしく、会場も温泉街の旅館にある大きなホールらしい。もう16年ぶりに顔を合わせる人びととお世話になった先生にせめて失礼がないように、参加を申し込んで真っ先に懸念したのは服装だった。

そこそこ小綺麗でセミフォーマルな服が良いだろう、しかしそんなの持っていない。また普段仕事用の制服が作業服なので私服もそんなに持つ必要がなく、かつすぐに移動する仮の居場所として地元に暮らし始めたからオフにこれと言って集まる場もなくて洒落た格好をする機会もなかったため、まともな服がない!という引け目と心配を抱えて週末やっと百貨店へ足を運んだ。

 

 結論からいうと、カジュアルフォーマル共に使えるパンツスーツ上下とインナーを購入して一括払いで済ませた。

 

 それは振り返ると、焦りと負い目と虚栄心に駆られて急いだゆえの選択だった。

 

 この日は百貨店にて、家族が持っているポイントカードを持参すればポイント8倍、かつ割引が出来たのに、持って行かなかった。前日に家族からチラッと聞いていたが、家族も出かけるためバタバタしていて渡しそびれており…。支払い時、店員にカードはあるかと言われた時点で家族に電話するか、その場での支払いを留保し取り置きをお願いすべきだった。その上家にあった商品券も持参したにもかかわらず、この全額を使っても予算オーバーし、かなり自腹を切った。

 

 この件で家族からはもうボロクソの非難である。

ざっくり言うと、こうなるのはあんたが情弱だから!であり、それはふだん一人でばかり行動するからだ、お金のない人に限って要領の悪い買い物をする、ポイント付加や割引デーを使った賢い買い方をしないという話。たしかにカードを使えばあともう一枚は安いインナーなら買えただろう。

 

 しかし、滅多に行かない百貨店のカードなど持つだけ無駄だし作る手間が惜しい。 何より百貨店を二つハシゴして(市内にそもそも二つきりなのだが)、もとよりどんな格好がしたいかのイメージもなく服飾売り場を回って疲れ、夕方には考える気力が萎えていた。試着時に値札を見てギョッとしたが、良いものはどのみち高くつくし、早くこの件を終わらせたかった。

 

 ちょっとした同窓会でもある今度の集まり。皆どんな社会的立場にあるのだろう。家族からは「正社員でちゃんとしている人」もいるのだから場に応じたきちんとした格好や振る舞いもできないと恥だと言われる。私は非正規雇用とはいえかなり恵まれた職場で賞与もつくけれど、世間ではしょせん非正規である。正規でないならそんな服装も振る舞いも要らないと思うのだが、大都市圏から15年くらい認識の遅れた地方都市ではこれほど国全体が貧困化しても中流意識にもとづく「恥ずかしくない服装」が捨てきれないらしい。

 

 地方の貧困労働者であるにもかかわらず、成功した中流層の振る舞いを規範に身の丈に合わない買い物をしてしまった後悔。人並みでありたいという尊厳と、世間の常識に屈従してしまったというやり切れなさ。

 

 まあ、もう今回は良い勉強になったと思おう。特別な日のために、少し高めの必要なモノを買っただけなんだし…。

 

 これを機に思い起こしたのは、ふだんの日、労働者とくに女性に課せられた常識的な身だしなみにかかるコストや心身への負担を見直して是正すべきだと思う。日々の化粧、スーツ、パンプス、極寒でも酷暑多湿でもストッキング…どれほどの負担か?これだけでなく、高度成長期やバブル時代の雰囲気を引きずった常識やマナーが、仕事や生活の合理化や快適さを妨げているかもしれないから。

 

 

「家族≠セーフティーネット」の時代

 日本家族をとりまく状況はそれはもう厳しい。家事、育児、養育、看護、介護といった全てのケアワーク、労働者の再生産、地域社会運営など市場原理以外の活動が個々の家庭へ一気に押し寄せている。

 

 そして、そのコストを国家サイドが全然意識してない。企業も無自覚で、だからこそ過労による病や過労死が後を絶たない。ブラック企業がボロ布みたく使い捨てた労働者は、これまで家庭や教育機関が曲がりなりにも時間と労力をかけて育てた人間である。安手で使える生産人口の絶対数が目に見えて減るとわかった国は、海外から外国人労働者受入拡大を決めた。失われた30年とくに構造改革以降進めてきた働かせ方を外国人にも適用する考えでいるのだろう。語学教育や労働法整備も不十分で人道的に問題を残したまま、労働コストの外部化を求めた結果がこれだ。

 

 だが、家庭内の労働に対してはいまだ外部化の傾向が薄い。少なくともかなり抵抗が見られる。家事代行サービスは少しずつ発達しているのだが、その利用料を払うだけの賃金を多くの人が稼げない。食洗機や乾燥機の導入に眉をひそめる中高年、とくに男性。紙媒体で手書きが主流の連絡帳やオンラインを使わない集金。出前や外食文化が良く思われない文化で食事の手作り信仰は根強い。保育園に入れないために仕事を辞めざるを得ない母親たち。

 

 ハッキリ言って、今の日本で家庭を作るメリットは少ないだろう。何せそれは負担が増えることだけを意味するのだから。

 

  あるカップルが結婚を決めたとする。そして子どもを授かった場合、まず子ども一人分を育てるコストがかかる。その子を大学まで行かせるなら卒業までに1千8百万円ほどかかる。そのカップルにそれぞれ両親が居たなら併せて4人分の介護負担が要る。もしカップルが晩婚で30代後半で子どもをもうけ、かつどちらかの親が早くに介護が必要になったら…育児と介護のダブルケアを担わなければならない。その上カップルのうち夫が家事育児介護をしない・できない男性だったら女性側の負担は

 

自分の親2人+夫の親2人+子ども、

 

となり、ここに夫の世話が加わったら負担は5人分となる。

 自分の両親だけ看るのと比べて2倍以上の負担である。そんなことをざっと思い巡らせれば、結婚をリスクと感じる人が増えても不思議はない。

 

  さらに、何かあるとかけられる自己責任バッシングは本来社会的な責任負担とすべき問題を個人や家庭に帰責する。ますます家庭は追い詰められる場となる。

 

 しかし、たとえば育児は母親だけ・家族だけで担えたことなどどの時代にも社会にも無かったはずだ。介護もようやく家族だけでは看切らないことがだんだんと顕現しはじめて、介護保険導入とともに今に至る。

 

 必要なのは、血縁や身内以外のネットワーク再編と、適正な富の再配分だろう。社会全体で担うべきことを個人の問題に矮小化するにはもう限界が来ている。自己責任と家族内規範強化とは異なるセーフティーネットの再編成は、個々人をとりまく労働問題の見直しから得た資源の適切な再配分を起点としなければならない。

 

 

 

 

 

 

広い通りに立つ時

 母校の正門前の歩道が、昨年工事が入って秋頃から拡張された。いざ整備された歩道を見ると何とも清々しい気分で、なんで今まで昨年まで放置されていたのか、出来るならもっと早くやってくれればという気持ちになる。

 

 何しろこのエリア、市内の文京区でありながら歩道が狭く、車道も幅ギリギリ、民家やアパートのある道は水路が走っている都合上車2台が通れるスペースがなく対向車が来ると人も車もしばし待たなければならない。正門の向かい側には小学校、中学校、総合病院が並び、その端には路面電車の電停もあるためいつも人でごった返し、小さな子どもやお年寄りにとって決して歩きやすい道ではなかった。

 

 それが、どういう成り行きか歩道に面した母校の敷地を縮小するかたちで、歩道はちょうど2倍の道幅となった。向かいの病院の改修工事と合わせて一新された歩道は、それは鮮やかに辺りの見晴らしを良くしてくれた。

 

 見通しの良い場所は、道を通ることの心理的負担を軽くする。にわか雨の夕方も、急ぐ自転車や数人連れで道が塞がれることもない。周囲を一望できるせいですぐ横や足元の障害物を避けながらでなく次の歩みが見出せる。

 

 なにを当たり前のことを、と思われるかもしれない。しかし足場と見通しの悪い道が、足腰を傷めた人にとって、ひいては心身に障害を抱える人にとってはどれほどストレスフルか、私には思うところがある。

 

 四年前、不注意で左足の関節を傷めてしまい、自転車に乗れない時期があった。通勤に使う路面電車の駅は家から徒歩18分位、近道をするには著しく狭くて足場の悪い車道の端を通らねばならず、ふだんでさえやっかいな道を足に負担のない姿勢で車を避けて歩かなければならない。傘をさしていれば車のボディは身体のスレスレを走り、水溜りの跳ね返りを浴びることもある。かといって勤務先は車で行くほどの場所でもなく、約2カ月そういう状態が続いた。辛かったのは、痛みよりも自分の意思やペースで移動できないことに伴う心理的負担だった。

 

 歩道拡張が着々と進んでいる頃、ちょうどSNSには昔母校に勤務していたという先生が脊柱管狭窄症による足腰の痛みを切々と訴えていらした。数歩歩くにもゆっくり神経を使いながら、座席があればとにかく座りたい、坂道や満員電車は苦行だ、等々。メンタル不調を抱えるも足の痛みを発症してからむしろ調子が良いように見えるというご家族の指摘に対して、痛みに気を取られて他の事を考える余裕がないのだという叫びもあった。痛みとは、それくらい日常生活に大きな関心を占め、エネルギーをさらう。健康な人にとってゼロの労力でできることを、不調を抱えた人は4〜6割の労力を費やしてようやっと成し遂げる。それに加えて道が悪ければ、外出のハードルは一挙に高くなるだろう。つまるところ社会参加の機会も制限される。

 

 歩道の拡張は、環境やインフラ整備が個々人のQOLを大きく左右することを改めて思い起こさせてくれる。世の中には色んな人が居て、外観ではわからない、または微細な数値でしか現れない症状を持つ人たちに現れる世界が困難とストレスに満ちたものであってはあまりに不当だ。アクセシビリティの保障は人口規模の大きすぎない地方都市でこそ、その影響が顕著に現れるだろう。

 

 

大学のない街で

 日曜は家族と母の郷里へ出かけてきた。メインは浜辺近くの神社での梅見だったが、途中で施設に居る父方祖父との面会、地元工芸品の店で買い物、母方祖父母の墓参りを経てある中華料理屋で昼食に。そこで考えたことを少し。

 

 店は街中の官庁街に面した通りの少し奥にある。2時すぎなのに店内は満員で、交通整理の男性がさばいてくれるおかげであまり広くない駐車場に何とか車を停められた。県外ナンバーが多い。皆何を求めて来るのかと見渡すと大半の客は看板メニューのご当地B級グルメを頬張っている。これが目当てか、と思いながら私たち家族はそれぞれ別のものを注文する。

 

 晴れた休日で周囲は賑わっている。この街は飲食店が多い。もともとは瀬戸内海の海上交通の要所であり、造船と繊維工業を主な産業として栄えた商業都市である。

人口約16万強で、私が今住んでいる52万弱の市内とは街の雰囲気や気質もかなり異なる。ここは商売人の街である。母いわく、今住む街の女性は専業主婦として家で小綺麗にお茶を飲むような暮らしを好むが、この街の女性は繊維工業の内職などをして小金を持っているため、遊ぶ時も友だちと出歩き外食する人が多いそうだ。テーブル席にはお年寄りも多く元気に食べている。が、何より気風の違いは若い人たちに目立つ。

 

 店内に突如元気よく笑い声が上がる。少々やんちゃな二十歳前後に見える若い男性数人が席で談笑している。ああ学生さん(生徒ではない)かな、と思いかけてふと気がついた。

 

ここは大学生の街ではない。正確には少し辺鄙な場所に短大が一校あるのだが、いわゆる学生街というか大学関係者を客層とするエリアはない。するとこの辺の若者とはすでに学卒で働いているか、専門学校生か高校生か。

 

 大卒の公務員会社員ももちろん居るが、地元の高卒者は現場系の技術職、工員、職人、販売などの業界へ入って地元の「若い衆」となる。また自営業者も多い。いずれも活発に人と交流し、しゃべり、つきあいにお金も使い、お愛想や冷やかしをとばしながら顧客や同業者と関係を築いていく。地元の旧い会社には荒っぽい職人気質の者も多く、ブラック企業もある。つい最近も(じつは数年前から問題になっていたのだが)外国人技能実習生を劣悪な条件で酷使したことが話題になった。

 

こういう土地で若くして働く人が、職場に馴染めなかったり、仕事につまづいたり、社交的なことが苦手な性格だったり、外の世界を知る機会が限られていたり無かったりしたら、どんなに辛いだろう。就いた仕事に不向きなことが判り軌道修正したくとも、地方では選択肢が限られている。

 

 今の大学は断じてレジャーランドなどではないが、かつて大学が提供していた一種のモラトリアム期間は、仕事に役立つ知識やスキルと程遠い教養に触れさせることで若者に自己形成の機会も与えていた。若者が社会の歯車として巣立つ前に、それは無意識のうちに産業労働界と距離を置く役割を果たしていただろう。しかし地方でその他に就職する高卒者に必要とされる素質は、荒っぽい気質への適応や従順さなど、労働に適合的なものでありカウンターカルチャーとして機能していない。むろん教育機関はどれも産業界の人材養成機能をもつとはいえ、上記を顧みると高等教育が就職予備校化することの弊害はもっと自覚されてよい。

 

 地方は多様だ。それぞれの歴史や産業構造の上に今があり、それが時代ごとに有利にも不利にもなり得る。だから、「富山は日本のスウェーデン」とか特定の国や地域を規範化するには無理がある。それらは数多ある地域の一つの事例にすぎない。願わくは、どんな地域や階層に生まれた人も教育による社会移動の機会とアクセシビリティを奪われないこと、労働スキル以外の学びがどんな地に住む人にも開かれてあらんことを。

 

 写真は神社の梅。学問の神様を祀ったけっこう有名な天満宮です。

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