いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

「家族≠セーフティーネット」の時代

 日本家族をとりまく状況はそれはもう厳しい。家事、育児、養育、看護、介護といった全てのケアワーク、労働者の再生産、地域社会運営など市場原理以外の活動が個々の家庭へ一気に押し寄せている。

 

 そして、そのコストを国家サイドが全然意識してない。企業も無自覚で、だからこそ過労による病や過労死が後を絶たない。ブラック企業がボロ布みたく使い捨てた労働者は、これまで家庭や教育機関が曲がりなりにも時間と労力をかけて育てた人間である。安手で使える生産人口の絶対数が目に見えて減るとわかった国は、海外から外国人労働者受入拡大を決めた。失われた30年とくに構造改革以降進めてきた働かせ方を外国人にも適用する考えでいるのだろう。語学教育や労働法整備も不十分で人道的に問題を残したまま、労働コストの外部化を求めた結果がこれだ。

 

 だが、家庭内の労働に対してはいまだ外部化の傾向が薄い。少なくともかなり抵抗が見られる。家事代行サービスは少しずつ発達しているのだが、その利用料を払うだけの賃金を多くの人が稼げない。食洗機や乾燥機の導入に眉をひそめる中高年、とくに男性。紙媒体で手書きが主流の連絡帳やオンラインを使わない集金。出前や外食文化が良く思われない文化で食事の手作り信仰は根強い。保育園に入れないために仕事を辞めざるを得ない母親たち。

 

 ハッキリ言って、今の日本で家庭を作るメリットは少ないだろう。何せそれは負担が増えることだけを意味するのだから。

 

  あるカップルが結婚を決めたとする。そして子どもを授かった場合、まず子ども一人分を育てるコストがかかる。その子を大学まで行かせるなら卒業までに1千8百万円ほどかかる。そのカップルにそれぞれ両親が居たなら併せて4人分の介護負担が要る。もしカップルが晩婚で30代後半で子どもをもうけ、かつどちらかの親が早くに介護が必要になったら…育児と介護のダブルケアを担わなければならない。その上カップルのうち夫が家事育児介護をしない・できない男性だったら女性側の負担は

 

自分の親2人+夫の親2人+子ども、

 

となり、ここに夫の世話が加わったら負担は5人分となる。

 自分の両親だけ看るのと比べて2倍以上の負担である。そんなことをざっと思い巡らせれば、結婚をリスクと感じる人が増えても不思議はない。

 

  さらに、何かあるとかけられる自己責任バッシングは本来社会的な責任負担とすべき問題を個人や家庭に帰責する。ますます家庭は追い詰められる場となる。

 

 しかし、たとえば育児は母親だけ・家族だけで担えたことなどどの時代にも社会にも無かったはずだ。介護もようやく家族だけでは看切らないことがだんだんと顕現しはじめて、介護保険導入とともに今に至る。

 

 必要なのは、血縁や身内以外のネットワーク再編と、適正な富の再配分だろう。社会全体で担うべきことを個人の問題に矮小化するにはもう限界が来ている。自己責任と家族内規範強化とは異なるセーフティーネットの再編成は、個々人をとりまく労働問題の見直しから得た資源の適切な再配分を起点としなければならない。

 

 

 

 

 

 

広い通りに立つ時

 母校の正門前の歩道が、昨年工事が入って秋頃から拡張された。いざ整備された歩道を見ると何とも清々しい気分で、なんで今まで昨年まで放置されていたのか、出来るならもっと早くやってくれればという気持ちになる。

 

 何しろこのエリア、市内の文京区でありながら歩道が狭く、車道も幅ギリギリ、民家やアパートのある道は水路が走っている都合上車2台が通れるスペースがなく対向車が来ると人も車もしばし待たなければならない。正門の向かい側には小学校、中学校、総合病院が並び、その端には路面電車の電停もあるためいつも人でごった返し、小さな子どもやお年寄りにとって決して歩きやすい道ではなかった。

 

 それが、どういう成り行きか歩道に面した母校の敷地を縮小するかたちで、歩道はちょうど2倍の道幅となった。向かいの病院の改修工事と合わせて一新された歩道は、それは鮮やかに辺りの見晴らしを良くしてくれた。

 

 見通しの良い場所は、道を通ることの心理的負担を軽くする。にわか雨の夕方も、急ぐ自転車や数人連れで道が塞がれることもない。周囲を一望できるせいですぐ横や足元の障害物を避けながらでなく次の歩みが見出せる。

 

 なにを当たり前のことを、と思われるかもしれない。しかし足場と見通しの悪い道が、足腰を傷めた人にとって、ひいては心身に障害を抱える人にとってはどれほどストレスフルか、私には思うところがある。

 

 四年前、不注意で左足の関節を傷めてしまい、自転車に乗れない時期があった。通勤に使う路面電車の駅は家から徒歩18分位、近道をするには著しく狭くて足場の悪い車道の端を通らねばならず、ふだんでさえやっかいな道を足に負担のない姿勢で車を避けて歩かなければならない。傘をさしていれば車のボディは身体のスレスレを走り、水溜りの跳ね返りを浴びることもある。かといって勤務先は車で行くほどの場所でもなく、約2カ月そういう状態が続いた。辛かったのは、痛みよりも自分の意思やペースで移動できないことに伴う心理的負担だった。

 

 歩道拡張が着々と進んでいる頃、ちょうどSNSには昔母校に勤務していたという先生が脊柱管狭窄症による足腰の痛みを切々と訴えていらした。数歩歩くにもゆっくり神経を使いながら、座席があればとにかく座りたい、坂道や満員電車は苦行だ、等々。メンタル不調を抱えるも足の痛みを発症してからむしろ調子が良いように見えるというご家族の指摘に対して、痛みに気を取られて他の事を考える余裕がないのだという叫びもあった。痛みとは、それくらい日常生活に大きな関心を占め、エネルギーをさらう。健康な人にとってゼロの労力でできることを、不調を抱えた人は4〜6割の労力を費やしてようやっと成し遂げる。それに加えて道が悪ければ、外出のハードルは一挙に高くなるだろう。つまるところ社会参加の機会も制限される。

 

 歩道の拡張は、環境やインフラ整備が個々人のQOLを大きく左右することを改めて思い起こさせてくれる。世の中には色んな人が居て、外観ではわからない、または微細な数値でしか現れない症状を持つ人たちに現れる世界が困難とストレスに満ちたものであってはあまりに不当だ。アクセシビリティの保障は人口規模の大きすぎない地方都市でこそ、その影響が顕著に現れるだろう。

 

 

大学のない街で

 日曜は家族と母の郷里へ出かけてきた。メインは浜辺近くの神社での梅見だったが、途中で施設に居る父方祖父との面会、地元工芸品の店で買い物、母方祖父母の墓参りを経てある中華料理屋で昼食に。そこで考えたことを少し。

 

 店は街中の官庁街に面した通りの少し奥にある。2時すぎなのに店内は満員で、交通整理の男性がさばいてくれるおかげであまり広くない駐車場に何とか車を停められた。県外ナンバーが多い。皆何を求めて来るのかと見渡すと大半の客は看板メニューのご当地B級グルメを頬張っている。これが目当てか、と思いながら私たち家族はそれぞれ別のものを注文する。

 

 晴れた休日で周囲は賑わっている。この街は飲食店が多い。もともとは瀬戸内海の海上交通の要所であり、造船と繊維工業を主な産業として栄えた商業都市である。

人口約16万強で、私が今住んでいる52万弱の市内とは街の雰囲気や気質もかなり異なる。ここは商売人の街である。母いわく、今住む街の女性は専業主婦として家で小綺麗にお茶を飲むような暮らしを好むが、この街の女性は繊維工業の内職などをして小金を持っているため、遊ぶ時も友だちと出歩き外食する人が多いそうだ。テーブル席にはお年寄りも多く元気に食べている。が、何より気風の違いは若い人たちに目立つ。

 

 店内に突如元気よく笑い声が上がる。少々やんちゃな二十歳前後に見える若い男性数人が席で談笑している。ああ学生さん(生徒ではない)かな、と思いかけてふと気がついた。

 

ここは大学生の街ではない。正確には少し辺鄙な場所に短大が一校あるのだが、いわゆる学生街というか大学関係者を客層とするエリアはない。するとこの辺の若者とはすでに学卒で働いているか、専門学校生か高校生か。

 

 大卒の公務員会社員ももちろん居るが、地元の高卒者は現場系の技術職、工員、職人、販売などの業界へ入って地元の「若い衆」となる。また自営業者も多い。いずれも活発に人と交流し、しゃべり、つきあいにお金も使い、お愛想や冷やかしをとばしながら顧客や同業者と関係を築いていく。地元の旧い会社には荒っぽい職人気質の者も多く、ブラック企業もある。つい最近も(じつは数年前から問題になっていたのだが)外国人技能実習生を劣悪な条件で酷使したことが話題になった。

 

こういう土地で若くして働く人が、職場に馴染めなかったり、仕事につまづいたり、社交的なことが苦手な性格だったり、外の世界を知る機会が限られていたり無かったりしたら、どんなに辛いだろう。就いた仕事に不向きなことが判り軌道修正したくとも、地方では選択肢が限られている。

 

 今の大学は断じてレジャーランドなどではないが、かつて大学が提供していた一種のモラトリアム期間は、仕事に役立つ知識やスキルと程遠い教養に触れさせることで若者に自己形成の機会も与えていた。若者が社会の歯車として巣立つ前に、それは無意識のうちに産業労働界と距離を置く役割を果たしていただろう。しかし地方でその他に就職する高卒者に必要とされる素質は、荒っぽい気質への適応や従順さなど、労働に適合的なものでありカウンターカルチャーとして機能していない。むろん教育機関はどれも産業界の人材養成機能をもつとはいえ、上記を顧みると高等教育が就職予備校化することの弊害はもっと自覚されてよい。

 

 地方は多様だ。それぞれの歴史や産業構造の上に今があり、それが時代ごとに有利にも不利にもなり得る。だから、「富山は日本のスウェーデン」とか特定の国や地域を規範化するには無理がある。それらは数多ある地域の一つの事例にすぎない。願わくは、どんな地域や階層に生まれた人も教育による社会移動の機会とアクセシビリティを奪われないこと、労働スキル以外の学びがどんな地に住む人にも開かれてあらんことを。

 

 写真は神社の梅。学問の神様を祀ったけっこう有名な天満宮です。

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つくおき考

 作り置きおかずが人気だ。一時期流行って、おそらくいまも書店にはレシピ本が専用コーナーに置かれている。

 あれは、おかずそのものの美味しさよりも時短や家事の合理化、もっと言えば自分や家族の食をマネジメントしているという全能感を味わうためのジャンルだと思う。

 

 もちろん忙しい人の味方ではある。

 

 仕事に育児に介護、その他あれこれ抱えた人が、毎回その都度ゼロから調理をするのは過酷なこと。だから、少しでも時間のある時に冷蔵庫等で日持ちするおかずを多めに作ってタッパーへ。手作りだし、レトルトや外食や中食に比べて添加物の心配は少ないし、健康的で、家の食材を消費できる。

 

 なので、一時期わたしの母がよくやっていた。が、これらは本当に時間コスパの面で優れているのか?

 

 冷蔵庫から容器を取り出す。

 蓋を開けて、中身を箸やスプーンで食器に移す。

 モノによってはラップかけてレンチン。

 つくおき料理の入ったタッパーに蓋をして冷蔵庫へ戻す。

 レンジから出してラップを開ける。

 食卓へ置く。

 

おかずが複数あれば食器の数も増え、手間も要る。そして問題なのは、タッパーに入ったぶんだけきっちり食べ切れる機会があまりないこと。

 小鉢一つ分とか、中途半端に余ってしまうことも。一人分ならあるけど、数人で分けたらメインのおかずにはとてもならないし、一回分の食事として別途何かを料理しなくてはならない。

そんな出来事がどこの家庭にもあるのではないか。

  その中途半端な残りおかずを適切な大きさの器に盛り、タッパーは流しへ、で、新たに何か作る。

 それができればよいけど、本当に忙しい人は冷蔵庫に残ったそのタッパー内おかずの量を確認した瞬間次の料理に傾注し、タッパーのことは忘れてしまう。家族も、別途その日に作った料理があれば、冷蔵庫内のタッパーに目が向くことはなく、思い出しもせず、結果タッパーは冷蔵庫に数日置かれる。

 

 わが家ではそんなことがたびたびあった。

 

  つくおきは、未来の先取りといえる。

  つくおきは、未来の制御。

 

 しかし、今日作ったものは明日、過去作られたものとなる。未来は予測できないことが多い。その日の忙しさ、気分、気候、そして食べたいもの。

 疲れて帰ってああ冷蔵庫のアレを食べなきゃ、なんか残飯処理してるみたいだけど、という気分にならないとも限らない。つくおきは、ラクとは限らないのだ。

 

 現代日本の忙しさーとくに家事労働のそれーは、旧い性役割分業や手仕事信仰、長時間労働に低賃金などのせいで家事の外注も機械化も省力化も全く進んでいないことに原因がある。真実に食を大事にしたければ、浅ましい未来の先取りに汲々として時間支配の優越感という幻惑に引き寄せることとは異なる、〈いま、ここ〉の時間を奪わない手法が求められるだろう。

 

 

あり得たかもしれない未来

 年が明けた。現職はカレンダー通りの勤務で私の仕事始めは4日からだった。が、休みを取った人も多い。すぐまた土日が控えているのだから遠方へ帰省した人はまとまった時間が欲しいだろうし、世間でも本格稼働開始は7日からのところが多かったようだ。

 

 7日の朝、職場まであと数分の通勤途中にある工場からは作業服を着た人たちがゾロゾロ出てきて横断歩道を渡っていく。仕事始めにつき、トップの訓話でも聞きに行くのだろうか。

 

 じつはここ、現職に就く少し前に派遣で雇ってもらおうとした工場なのだ。県外転職・移住がどうやら無理みたいだと分かり、でも当時の職場を辞める決意は翻ることなく、しかしスキルや何やの都合で応募できる枠は限られていて、登録していた派遣会社に連絡をとったところ、紹介されたのがここだった。決まりかけたのだが、通勤時間や交通費込賃金諸々の面で折り合いがつかず結局流れてしまった。

 

  製品を作る工場敷地のすぐ近くに別棟があると聞いていたため、何か集まりごとの時にはそこを利用するのかもしれない。社員さんたちの制服がまた、自分がいま着ているのとよく似たデザインで、ふと妙な近しさをおぼえてしまう。

 そういえば、仕事の内容も思えば近しいはずだった。現職で今やっているのは専用のデザインソフトで起こした図面の整理で、あの工場でやるはずだったのはやはりデザインソフトを用いた、製品の設計図修正だった。PhotoshopIllustratorを一部使用することも似ている。

もちろん扱う対象は全然違うし、工程や納期の組み方も異なる、あくまで別分野の業務である。けれど、いずれにせよ私にとっては初めて触るソフトで未知の作業に変わりはない。しかも、場所も現職と近い。自転車電車クルマ何を使ってもその工場の前を通過するという通勤動線なのだ。

 だとすると、同じような制服を着て、画像編集ソフトを使い、現職に近い地域で似たような作業をしているもう一人の自分の姿が目に浮かんでくる。わずかな時間差で、あり得たかもしれないもう一人の自分が。

 

 工場の朝は早い。7:45にはラジオ体操が始まるそうで、私などは月イチの早出当番の朝、通りがかりに体操前の人々を横目に自転車で疾走するていどである。(もっとも現職も現場の朝は同様に早く、クルマで1〜2時間とかいう通勤時間が加わる。)その付近はちょっとした工場地帯なので私が通る頃にはもうどの事業所も仕事を始めている。

 生活していれば色んな朝が来る。出勤しただけでエライ、とでも思わなきゃしょうがないような時もある。だが、生きている〈今・ここ〉も数多ある可能性の一つにすぎず、それも単なる時間差などではなくて、現在も生き続けている一つのかたちだと想像することで、得られる慰めもあるのでは、と考える新年であった。

 

 

就職と引き換えに


外国からの移民受入を拡大する法案が通過した。で、ネットでは人道的・経済的観点からあまりに拙速な通し方について反対が次々と噴出している。中でも深い絶望に裏付けられた批判はいわゆるロスジェネ世代(就職氷河期世代)からの怒りだ。じつにもっともだと思う。私はその末期世代に属する。

失われた20年間、若者はそもそも就職の機会から弾かれていた。正規雇用を得ることは絶望的に難しく、家計補助の待遇でしかなかった非正規雇用、ルールの未整備な派遣労働に就くしかなかった。民間企業でどうにか正規枠を得られても、ブラック労働が待っている。だが
公務員、教員の採用数も絞られ、こちらも仕方なく臨職や非常勤で食いつなぐ人々が使い倒された結果いまや人手不足(教員はとくに免許更新制度のせいもあって、なり手不足)が叫ばれている。当然だろう。

そんなふうだから、とにかく職があるだけでもありがたいという考えが染み付いていても無理はない。非正規でも毎日行き場があり、働くことでしか得られない社会保障や、もっと言えば成長や社会参加の機会、承認にかろうじてアクセスできるならとにかく真面目に働こう、という心情の人も大勢いるはずだ。


今から9年前、私はほぼ駆け込みで約半年ほど街中の公務員講座に通ったことがある。現役生(卒業前の学生)も浪人生(就職浪人した既卒者)も民間企業からの転職希望者もいた。狭いコミュニティで息が詰まりそうだったが、資格取得をめざす受験生もいて(というかスクールはそっちがメインターゲットだった)、あれは閉塞感含めて良い経験だったな、と今では思う。

そこで仲良くなったある既卒女性は、東京23区の職員を目指して日々奮闘していた。何でもあちらに交際相手が居るのだとか。お相手のそばに居たくて、話がどこまで進んでいるのかはわからないけれどおそらく彼女としてはもう結婚と同居は前提で、あとはもう「スクール内に住んじゃうくらい」必死で勉強して彼のもとへ行くだけ、そんな張り合いがみなぎっていた。それを聞いた当時の私は、勉強熱心なのは尊敬するけれど何だか彼氏に依存しているようで、そんな動機はどうかなあ、だいいち受かって上京できても破綻する可能性だってあるのにと、半ば呆れたような感想を抱いたものだ。

でも、今ならわかる。彼女が求めていたのは彼も含めて親密な人間関係やそれを得る可能性であり、そういう人々と付き合いながら築く暖かな未来だったのだ。周り、とくに親世代は就職さえ決まればあとはどうにでもなる、食べていけるし車を買ったり家を建てたりもできるし一人前の証が得られる、と考える人が多い時代もあった。しかしワーキングプアという、働いても食えない人々が存在することが明らかになって、「働けば食べられる」という図式じたいが壊れ始めて今の体たらくがある。だから、仕事に自分を重ねる発想に見切りをつける人がいてもおかしくない。ろくに上がらない給与のために、たかだか月最低限の生活賃金のために、親しい繋がりも愛着もない土地にーそれが地元である場合だっておおいにあるー、仕事のためだけに住むなんて耐えられない。仕事ってそうやって得るものなのだろうか。私は現在そう考えている。

結局件の彼女は試験に落ちて、鉄道会社の契約社員としてキャリアをスタートさせた。その後どうなったかは知らない。付き合いも続いていない。彼女の地元に残ったのか上京したのか、どこか違う土地に住んでいるのか。いずれにしても自分らしく幸福でいてほしい。


仕事に就く機会さえ制限されて、最低限の職を得るために、仕事以外の様々な大切なものー親しい人間関係、恋人、人間らしい時間、休息の時間、家族を作る時間などーを手放した労働者も数多くいただろうこと。そうして得たポストが買い叩かれ、食べられない賃金に貶められ、人手が足りないから今度は外国人を沢山入れようとする。働かざる者人に非ずみたいな主張を垂れる人こそ、むしろ人たるに値しない条件に人を貶めようとしてあるように見える。

労働は生存の道具ー、生存資源を得るための条件にすぎない、そういう発想に立ち返ることも時に必要だと考える。

ヤマが動くとき


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先月は大きな変化があった。

一つは奨学金の完済。

もう一つは祖母の他界。

前者は長く背負った経済的重荷が吹き飛び、後者は長い介護の終わりから両親とくに母に時間ができたことを意味する。パート先が夏休み時短中なせいもあって、彼女はせっせと断捨離に励んでいる。

重石が吹き飛んだ分、多少気持ちの軽やかな面はあるが、実際にはマイナスがゼロに戻っただけのことで、今後の身の振りをわき目もふらずに猛進できるかというとそんな心境ではちょっとなくて、ともすれば糸の切れた凧みたいな感触がある。消費の面で今まで我慢してきた反動はもちろんあるだろう。

でも最後の繰上げ返済申込と入金、実際の引き落としを確認して二週間が経った今、地元生活があらためて枷のように思われてくることに窮屈さと罪悪感をおぼえている。

課題だらけでどれを優先すればよいのやら。

無駄を承知で市内で一人暮らし?それは雇用の安定を前提とした選択だが、採用段階の契約と辞令交付書を原則どおりに読むと、引越してやっと落ち着いたかなという頃に契約更新なしという最悪のタイミングを踏まない保証はない。

しかし実家暮らしは身の回りのことを自己決定でやる・自力で変えられる余地が少なすぎる。貧しくても自活し自分で決めて動いてこそ本来の自分、とずっと思い続けて今に至るも、金銭(所持金の額)もスキルも体力(貧血はおかげさまで回復)も中途半端である。

県外求人も見つつアンテナを張ってはいるが、転職活動を本格化させる段階ではないし、移住がいま現実的な選択とはいえない。

しかし付き合いの続いている親しい友人は大半が県外住まい。県内の友人は市外にいてそれも子育て中なので、どうしても観ている世界の風景が自分とは違う面が多いだろう。そしてどのみち頻繁には会えない。

県内には進学の選択肢もない。

しかし四国外に出るには資金も仕事のアテもまだない。が、悠長に先延ばしできる年齢かというとそうでもないし…

なんか書いててもうちょっと明るくカラッとした筆致はできないのかという気分になってきた。でもこれが正直な自分の現状だから、記しておく。

晴れていれば退勤後に温泉街付近の河原と宅地を散歩して楽しんでいる。写真はその一部。通りすがりのマンション脇の水路です。せめて焦点の絞り先がぼんやり掴めるまで、今楽しめることを模索しようと思います。