いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

脈うつ時間が戻るとき

f:id:iwakibio:20180610081727j:plain

f:id:iwakibio:20180611201943j:plain

隣家のムクゲのつぼみが膨らみ、昨日咲いた。わが家の食堂から夏を感じる。

お隣は空き家だ。四年前、高齢で一人暮らしをしていたおばさんが亡くなった。以来誰も住むことなく、週末ごとに入れ替わり立ち代わり親族の方やシルバー人材センターの人が来て、家とその敷地内とくに広大な庭の片づけに精を出してきた。

現在、この庭は整地されて植物は丹念に刈り込まれ、花木は青葉をなし敷地の中央にはわずかに野菜が植えられて今はパセリの花が咲いている。この状態にもってくるまでまる四年を要した。何しろそれまでは、大型の植木鉢やプランター、その他園芸用品や家財道具が溢れかえっていたのだから。その膨大なモノたちは、おそらく加齢からくる体力の低減によりおばさんの手に負えなくなってやむなく放置のかたちをとっただけではあるのだが。

おばさんは、この庭を本当は花でいっぱいにしたかったらしい。彼女の自宅前に広がる敷地に鉢植えや花の苗を買ってきて置いた。地植えの花や野菜もつくるべく、たまに鍬で土を耕し、その苗を植えた。しかしその敷地は広く、歳をとった女性の体力と腕力にはちょっとコントロールしかねるもので、結局は雑草や木々の枝葉が繁る勢いの方が勝ってしまい、周囲にはいわば荒れ果てて見えることが時折あった。

おばさんが亡くなったとき、御身内の方がみえて随分恐縮した様子でお詫びを仰った。ーご迷惑をおかけしまして、と、いやいや私たちは別にそんなふうに思ったことはないのだが。ただ、ここのお宅とあの庭はどうなるのだろうというのが両親と私の疑問だった。

はたして、家屋と庭は残った。週末や時あるごとにおばさんの身内の方やシルバー人材センターの人たちが敷地に入り、少しずつ整地を進めていった。植木鉢やプランターは動かすのもけっこうな労力が要る。下草は、ちょうど今のような初夏なら刈ってもすぐ生えてくる。もともとこぼれ種で殖えていたと思われる草花ージュウニヒトエ、オドリコソウ、ムスカリツルニチニチソウハナニラモモイロヒルザキツキミソウなどーが思いがけず一定期間咲いては驚き、大地のポテンシャルとでも言うものに感心した。

それにしても、ある空間が自然の生命連鎖を具えた時間を取り戻すには何という期間と労力が要ることだろう。冬にはレモンが実り、初夏にはムクゲが咲き、ブロックの下に青紫蘇がこんもり繁るー、この季節に応じた生命のリズム。芽吹き、咲き、実り、枯れ、新たに生えるという繁殖のループは自然界では当たり前のように見えて、しかしそれは非常に微細な条件の束から成っており、わずかなほころびで歯車は欠け、軋む。昨今の高齢社会はちょうど再生産のループが機能不全に陥るか止まりかけた状態なのだと思う。


想田和弘監督の映画『港町』を観て上記を痛感する。

http://minatomachi-film.com

高齢化が進んだ港町で、手間暇をかけて漁り丁寧にさばかれた魚は、人間にあっては老いた者の口へ、猫にあっては子猫のもとへ運ばれる。同じ海でとれる魚は、前者は世を去る日の近い者を養い、後者は新たな命の糧となる。再生産のループの果てに居る、あるいはそのループから外された(子どもを頼りに生き甲斐に暮らすことさえ断たれた女性が終盤に出てくる)人間たちと、人間が与える餌で繁殖のループを勢いよく回復させる猫たちとの対比。

想田作品はじつに、命ある身体をそなえた生き物がただ一個さえ生きることにも、それを可能にする微細な条件や過程を、社会や制度、感情の機微以外の観点から浮き彫りにしてくれる。

一個の生命、一隅の空間が生命をもって十全に存在し切ることの難しさ。それを顧みない思想や行為はやがて、命ある時間のループから外れていくのだろう。

アクセシビリティのさまざま


ある人が相対的に他の人より資源を多く所有していたとしても、それは必ずしも自由や力を有すること、豊かさ、社会的アドバンテージを意味しない。

所有する資源、財ーたとえば金銭、食料、土地、電子機器類などーを多く持っていても、その人が自分の意思で使うことができなければその人はディスエンパワーされている。その人の意思決定が通る環境か。女性はとくに夫や親の反対で進学や労働参入、スキルアップを阻まれることが多い。かつて女性の生き方として規範化されていた専業主婦という立場の葛藤を、想起してみるとよい。とりわけ地方在住の、非正規雇用で経済状態が不安定なため親元に居住する未婚女性には上記以外にも様々な制約が生じる。

食材がたくさんあっても貧困ゆえまともな調理設備のある部屋に住めない若い人は、健康的な食事をとることが難しい。また加齢による体力・筋力の衰えゆえに、かつてできていた炊事ができなくなった高齢者を想定してもよい。さらに病気や障害のために身の回りのことが自力でできない人たちも同様である。

金銭そのものを多く所有していても、「ふつうの生活」をするには異様に高いコストを支払わねばならない人たちがいる。交通アクセスが悪い、公共交通機関が未整備な土地だと自家用車が必須だが、クルマがその購入費のみならず維持費にかなりの金銭を要する乗り物であることは周知の通りである。で、クルマを買えない、運転できない人は「ふつうの生活」に必要な当たり前の移動に相当な不便を強いられる。

概ね地方在住者は、大都市圏に住む人々よりもアクセシビリティの面で不利である。とくに知的文化的情報面でそれは顕著になる。大都市圏居住者が気軽にアクセスできるイベントや集まりに、地方在住者はそのつど遠距離移動の予定を立てなければならない。交通手段の切符をおさえ、場合によっては宿を予約する。週末朝から移動となれば、その週は疲れを溜めないよう体調をセーブしなければならない。思いつきで当日知った集まりに行く、などは難しい。


貧困や社会的不利益に考察をめぐらせる時には、資源を機能に変換するためにかかるコストを、物理的・心理的負担の両方から正視する必要がある。A.センが提唱した「ケイパビリティ」の制限、剥奪は様々な局面で起きているが、支援や補填を得るための情報にアクセスすること自体が困難であるか、莫大なコストがかかるケースがある。置かれた境遇や属性の異なる人々が同じ機能を得るのに必要なコストは同じではない。格差是正を考えるさいに、その人が必要とする機能に対してどれだけアクセスしうるかという観点は、決して万能でないにせよ当該者の置かれた環境に目を向けるために有用であるだろう。

人並みの波間から

f:id:iwakibio:20180603171127j:plain

祝福を。

ほんとうに祝福を受けているような空と陽射しの続く地元である。この好き街から「ちょっと」県外へ、四国の外へと出かけることの難しさ、コストの高さにここ二週間ほど暗澹たる気持ちでいる。

先週末は大変だった。土曜午後から何となく具合が悪かったのを圧して県外へ出かけ、帰ってきたら体調不良で寝込んでしまった。ウイルス性胃腸炎だそう。今はもうかなり良くなったのだが、今回のことで私は自分の体力にすっかり自信を失ってしまった。

病院へかかったついでに血液検査した結果、貧血が出ていることが判った。軽度のうちだが、5年前に治療済のはずが、ある項目は5年前よりも低い。まあ検査したのが一日絶食後かつ月経数日後だったのを考えればそんな元気いっぱいの結果は出ないだろうし、前回と同じ鉄剤を数日おきに服用して数ヶ月後また検査、という流れとなり、その薬もおととい夜に一錠飲んだだけで立ちくらみはなくなった。思えば秋頃から大して重くもないモノを仕事で運んで息切れとか、風邪をひきやすく治りにくい、寝てもスッキリしない、あげくは先月ひどい風邪をひいた後に来た月経の最中にめまいと息切れを経験したりと、貧血らしき自覚症状はそこそこあったから、今回判って手を打ててベストだったはず。

でも。
わたしは今度のことで自分の年齢や立ち位置の自覚と、戦略の見直しを迫られた気分である。

忙しかったり、気温差が激しかったり、疲れが溜まっていたりと悪条件が重なると長距離移動はものすごい負担になる。まして公共の交通アクセスが不便で海を渡るのにざっと半日を移動に費やす必要のある四国に住んでいれば。

奨学金の返済がもうすぐ終わりそうなことは少し前に書いた。これは嬉しい反面、それをもって自分がいわゆる「人並み」の世界に戻れることを意味しないのだと一方で感じもする。長く続いた経済面のマイナスがやっとゼロに到達するだけである。

いやほんとうは、それだけでも凄いこと、のはずなのだ。


一般に、大病の回復期に焦ったり無理をしたりは禁物だと言われる。その意味が今すごくよくわかる。

病を「人生を揺さぶる大きな災い」と言い換えてもかまわない。借金や事業の失敗、DVや離婚など家庭の問題、事故や災害による被害…

問題の渦中に居る時、ひとはその注意と労力の全てを注ぎ、深い闇の水底からわが身を浮き上がらせようと奮闘する。その過程で頭上の光や周りに漂う数多の恵み(かつて自明でしかなかった、気づかなかった有り難みに涙することもあろう)に触れ、いつかどん底から脱する日が来る。やっと水面へ顔を出すことができるのです。久しぶりに見る海面からの景色は懐かしくも感慨深くもあるかもしれず、修羅を見た人々には呆れるほど何も変わらない見慣れた光景であるかもしれない。

で、その馴染んだ風景のなかへいざ入ってゆこうとすると、じつはいくつかの壁に直面する。

ケガや大病の予後のばあい、前には有った心身の機能が失われているか、元の水準に戻すために時間とコストがかかるケースがある。借金問題を解決して周りを見渡せば、年齢に見合ったライフステージを経験できなかった自分がいる。何にせよ、さまざまな意味で自分が「以前と同じではない」ことをいろんな局面で見せつけられるだろう。

そのことを周囲はどのくらい理解しているだろうか。理解する意志があるだろうか。

いちおう「社会復帰」したことで、以前と何ら変わらない世間の悪習への順応を迫ったり、人を抑圧するだけの「ふつう」「あたりまえ」の規範を課したり、仕事量のノルマを課したりする。家庭でも以前と同じ役割を課す。回復にふだんの何倍ものエネルギーを使った当事者が、「人並み」の壁に傷つき打ちのめされていく葛藤がそこにはあると思う。社会的困難を抱える当事者だけが変化と格闘を強いられ、世間の側は何も変わらないこと。

深い闇底から 「人並み」の波間へ出てみれば、そこにはもう「人並みにはなれない」自分がいるかもしれない。そのことに絶望して自死を選んでしまう当事者もいるのではないか。

しかしここまで書いてきて、「人並みが何ぼのものか」
と思える視点も当事者の中にはきっとあるのだと思う。人並みを取り返しつつ、問い直す力。何であれこの視点は「支援」に関わるとき持っておくべきではないだろうか。

そう考えて、わたしは自分の足元と視界を心地良くすべくカフェの席を立つのです。

自分仕様の休日

f:id:iwakibio:20180519182701j:plain

久々に県外へ行ってきた。本当はGWに行きたかったのだがまたしても風邪をひき、体調が悪くてとても遠出する気にはなれなかった。

この日帰り旅行というのがじつは思いのほか時間のロスが多い。何度か書いているように地元は交通アクセスが不便でとくに海を渡るまでに実質半日は吹き飛ばす移動法にどの交通手段を選んでもなってしまう。今回も例外なくそうだった。晴れて暖かな日ならまだしも今日みたいに明け方まで雨で風があり寒い日などは現地着〜目的地出発便までの時間をどうにかして室内で過ごさねばならない。でも、昼からはとても日差しが強く帽子を忘れたのを後悔するほどだった。


行ってきたのは高松市牟礼町にあるイサム・ノグチ庭園美術館。晩年のノグチがアトリエを構え、牟礼町特産の庵治石ほか全国、世界から運んだ石を用いた彫刻作品やその制作の跡が残されている。


五月の空と新緑の葉ずれのもと白くまぶしい世界が広がっている。周囲は山道と戸建の家、石材会社が立ち並ぶ。私を含め20数名の観客を連れて館のガイドさんが案内してくれる。著作権上の問題から写真撮影禁止のため、作品をここへ載せることはできない。しかし、石切場とそこへ揺れる木々、日差し、石の輪郭、制作小屋、未完のものも多数あるという作品群は生きているあいだにぜひ見て味わって頂きたい。カキツバタやヤツデの繁る水路、急斜面に作られた石の川、 履いて整えられた地面に浮かぶ石たちの影。

暗い小屋の中に安置された玄武岩の石彫を前に、私は涙がにじむのを感じた。20世紀という国家の時代を日米二つの国に翻弄されながら続けた制作の跡が闘いでなくて何であろう。孤独のうちに生み出された作品に漂うユーモアと洗練性。 ニューヨーク、パリ、インド、イタリア等各地を飛び回ってなお掬い上げられた日本文化の一部。それはノグチでなければ決して形にすることができなかっただろう。


帰路は平穏な休日の午後だった。冒頭の写真は道端のヤグルマギク
ほかにこんなのとか

f:id:iwakibio:20180519191430j:plain

ヘタっている犬とか

f:id:iwakibio:20180519191533j:plain

川面も若草も光るのどかな光景だった。

バスが来るまで30分近く。
さすがに日差しがきついのですぐ横の緑地に入る。楠並木の下にイネ科の草と、ニワゼキショウと水色の小さな花の群生を眺めながらベンチでぼんやりする。

7年前の初夏を思い出す。震災後の歪み、慣れない仕事、災害とは無関係ながら当時突然訪れた親しい者たちとの断絶、そして数百万に及ぶ教育ローン返済。それらを抱えながらも私は愛用の原付で山地や郊外へ赴き、イタドリやミヤマハンショウヅルやケヤキやブナ科の若葉の下に佇み没頭し楽しんでいた。生活は間違いなく今より不安定だったにもかかわらず、限りある時間や予算で暮らしを楽しむことにあっては確実に今より真剣だったと思う。

翻って、ここ最近は「社会性」や歳相応の振る舞いというのにずいぶん縛られていたのが遠出してみてわかる。現職で日々感じるあれこれはしかし、学歴やそれまで従事してきた分野と就いた職にそれほど乖離がない者と自分を比べてみてもさしたる意味はない、と今日ふと思いもする。だいいちこれだけ流動性の高い時代に「どこでも通用する人材」を目指すことやそんなものが居ることを想定すること、どこであれ一部業界の自明性を拡大解釈しただけの「常識」に合わせようとする試み自体有効性が疑わしい。

例の教育ローン返済はだいぶ解決のめどが立ったし、こうしていまやっと、働く者としてごくありふれた休日の使い方ができているみたいだ。地元へ戻るバスからそんなことを思う。


f:id:iwakibio:20180519194152j:plain

写真は庭園美術館入り口。基本写真撮影禁止ながらこれだけはOKとのことで。人が作った社会の枠組みに対して順応と問いのはざまを行き来し、自分なりの足跡ーフォルムを築きあげたいものです。

この手にあるはずの未来

 祝福を。

 久々の更新です。今回はちょっとした覚書のようなものを。
 例の奨学金返済があと数ヶ月で完済の見込みがついたので、今の心境を書きます。


 約7年半、正確には2年前から私は本格的に繰上返還を繰り返して、返済残額をひたすら減らしてきた。

 当初は月々の返済を細く長く続けながら貯金をし、自活しながら次のステップへ行くつもりだったが、
前職はあまりに賃金が安く不安定でまとまった金を作るのが容易でないことに加え、借金のほうを先に片づけないと部屋を借りようにも家族が保証人を引き受けないという考えでいることが判り、「次のステップ」代に貯めた貯金を全部返済に回してしまった。

 この間犠牲にしたものは多い。服装や髪型、持ち物選びも「人並み」をあきらめた。
当たりはずれの多い千円カットに単価2千円を超えない衣類。同様の運動靴。でもそれもそろそろ終わりにして、歳相応の身だしなみができるだろう。だが若かったその時間は戻ってこない。

 どのみち、いずれ返さなくてはならないもの。借金を残しておいて良いことは一つもない。
 むろん、生活はとても不安定だった。 


 借金を抱えることの問題とは何か。

 それは、お金よりも時間の感覚が狂ってしまうことではないかと思う。

 月々の返済がいくらであれ、返済残額がよほど所持金を下回らない限り、
どんなに稼いでもそれは純資産ではない。

 それゆえ、自分にはお金があるのかないのかわからなくなってしまう。それは自分が持てる時間の、ひいては未来の有無が不明であることを意味する。

 収入が不安定なのもキツイが、それ以上に辛いのは支出が不安定なことである。繰上返還の金額は毎回自分で決められるが、いつも手元に残す金額と、翌月以降の繰上返済額、そしてその月に不測の事態が起きた時のクッション費用を考慮して緻密に計算し、戦略を立ててきた。これも頭を使うと使わぬでは雲泥の差で、いくら無利子の借金でも漫然と月毎の返済をしていたのではなかなか残額が減らない。とはいえこれはふつうの生活に比べて懸念事項が増え、かつ複雑になることだ。

 なにしろ返済期間の経済状況は、風呂の栓をあけたまま湯を入れ続けるようなものである。まるで砂時計の砂がこぼれるように、実際にはそれを上回る量の時間と未来が、この手をすり抜けていった。

 いま、ようやっと自分の所持金は返済残額を上回るようになった。でもそれも二十万以内のことで、
出費が多ければ(生活に大過なくとも本州へ出るには旅費が要る)容易に所持金は減る。が、そうはいっても返済が順調であることに感謝しなければならない。

 わたしには時間があるのか、ないのか。未来があるのか、ないのか。先月の誕生日でアラフォーの仲間入りを果たした自分の手には、ほんとうはもっと多彩な可能性が握られていたはず、と思わずにはいられないのです。

生存戦略なかば

 祝福を。
 相変わらず地元暮らしがしんどくて胸中グダグダのいわきびです。

 それは、この街が悪いのではない。
 それは、自分が悪いわけでもない。

 ひとえに自分の求めるものと、地元の特色や提供してくれるものが噛み合わないだけである。


 コンパクトシティとしては大変理想的な街です。規模が小さい分、比較的職住が近く(その代わり交通アクセスは何を使ってもまだるっこしい。直で行ける場所が少ない。道が狭い。そもそも道と呼んでいいのか疑わしい小路をクルマが走っている。)、他の大都市圏よりも家賃が断然安く(これは本当。ファミリー向け物件の多い郊外より、中心街それも学生街エリアだと2~3万円台の貸部屋がザクザクある)、野菜高騰の折にも産直ではなお良心的な価格で手塩にかけたであろう作物が並んでいる。チェーン店やショッピングモールが増えるかたわら個人店が健在でなかでも個人経営の飲食店とパン屋は穴場が多い。交通マナーは酷いが、人々の歩く速さは概してゆっくりで、バスや電車の乗降で多少もたついても運転手ほか皆さん気を立てることなく待ってくれます。

 ただ、主要施設が中心街に固まっておらず分散して立ち、かつその動線も考えて作られたとはとても思えない。だいいちJRと私鉄の駅が離れすぎている。県外へのアクセスが不便。そこを拠点に県外へしょっちゅう移動しながら活動しようと思う人には住みにくい街だろう。


 さて。上記に「自分が求めるもの」と書いたので、もともとどうしたかったのかを振り返っておこう。

  労働は、必ずしもやりたいことと直結していなくてもかまわない。だから異業種転職もやってみたのだけど、慣れて覚えるまでの負担は決して無視できないことが最近わかってきた。同じ非正規でも、毎月ルーティンワークが決まっていて決められた期日までに担当分を間に合わせればよかった前職とはちがう。とうぜん、業務外で下調べや勉強が要る。が、現職でしんどいのは基本的にチームワークで、一人で決めて実行するタイプの業務遂行があまりないこと。

 まだ業務のすべてを経験したわけではないが、あらためて見えてきたのが自分の得手不得手。自分にはデスクワークが向いていること。というより机上以外の場所で手や体を使うタスクが人並み外れて下手すぎること。それらに少なからずストレスを感じること。じゃあどうするのよと言われても、まずは自覚するのが大切なので記しておく。

 生計手段としての仕事における帰属意識も、自分にとってさほど重要ではない。前に職場のメンバーシップについて記事を書いたけど、
iwakibio.hatenablog.com

それを要求されない雇用形態の方が余計な気をつかわなくて済むかもしれないという思いは変わっていない。むろん、パワハラによる排除やシカトでなければだ。


 私生活の理想は?

 人間関係なら、同じクラスタの人々とつながること。この歳で自分の選好も適性も方向性もあるていどわかってきたなら、どう考えても無関係な人や不特定多数に向けて働きかけるのは非効率だと思う。学生時代、20代の頃なら見聞を広げるためにランダムなつきあいの拡充もアリだが、今はネットもあるし、物理的な距離にかかわらず同志を見つけ、関係を築いていけばよい。

 家事や用事のこなし方について。苦手なことは外注して、比較的得意なことで社会貢献すればよいのでは。外注するにもカネが必要だが、自分を快適にし、自分のQOLを向上させるために稼いでいるのだから、機会があれば遠慮なく他人に任せればよい。

ただ、人手不足のひずみは世間知らずなこの自分にさえ暮らしのあちこちに痛感できる。パート求人でシニア歓迎の文字。増えるセルフレジ。コンビニで働くのも、観光でお金を落とすのも外国人が目を惹くこと。人口減少のスピードを示した記事。隣近所の空き家。高齢で独居の方、私の親友を含む老々介護の人たち。

技術化、機械化、自動化による対応の先には、できればポスト労働社会(この語はSNSで拾っただけだが、本当にそういう社会が来るなら働くのが好きではない人には朗報ではないのか)の朝が待っていてほしい。


ここまで書いて、職場でのやりとりを思い出す。入職してからずっと、「技術はタダではない」ことを忘れた時はない。職場は学校じゃない。業務は趣味じゃない。棲む世界は違えど、私もある局面では決して世間知らずでは居られずにきた。でも、これまでとは全く異なる技術職の世界を間近に私は勤務が終わると悲壮感と寂しさに覆われた。仕事のことで思い悩めばその分執筆や研究から遠ざかる。どれもこれも中途半端で気晴らしの場所もなく、寒さと疲れとヒビ赤ギレの痛みでこの二ヶ月くらいかなり停滞した。

結局、どんな自分でもどこかで受け入れて進むしかないのだと思う。私は気負いで空回りするタイプなので、情緒的なことはひとまず置いて、仕事と自分の執筆・研究・文献集め・読み・まとめ、語学訓練の身近なタスクを一つずつこなしていくのです。

私の眺望点

祝福を。

四国内の他県では平野部でも積雪があるのに地元には(少なくとも私が住んでいる街中では)なかった。寒波のなか、ぶじマラソン大会を終えたようです。

つくづく街中は災害や厳しい気候とはかけ離れた地なのだなと思う。諸事情でチャリ通を続けている身としてはとてもありがたい風土である。が、私の置かれた状況はきわめて煮詰まりやすいことを自覚してしすぎることはない。もともと窮屈に感じていた土地で、家族と同居し、吐き出す場もろくになく、仕事もチームワークが中心で、自分の選択や決断で動く余地、自分の裁量でできることの範囲が驚くほど少ないからだ。

もちろん自分が幸運なことは自覚している。だが煮詰まったり気持ちが追い詰められたりした時、恵まれているがゆえに自分が抱いているしんどさやマイナスの感情を認めることができず、自分で自分を抑圧して小さな不満を重ねて気づけば頑なに周囲を拒否したままの硬直した態度をとることになりかねない。


家でも職場でもない場。ともすれば狭くなりがちな視界をズームアウトし、自分の境遇を相対化するにはそういう場所が必要なのだ。退勤後、自宅へ帰り着くまでに本屋やカフェへ立ち寄り一拍置く人の心境がよくわかる。


そう書きながら、家庭を運営している人は、子育てや介護をやりながら働いてる人はもっと大変なのだそもそも自分の時間などないのだ!という叫びが想像できる。しかしそうやってより困難な状況に基準をシフトさせていくとただQOLの引き下げだけが待ち受ける。

一瞬でも数分でも十数分でも!自分を遠くから省察して眺めたり、自ら段取りを立て決める時間をもとうではないか。人手不足と高齢社会と貧困の時代にあって、あらゆる技術は個々人が生きる時間の采配を自分仕様にするためにあると考える。

週末、久々に郊外へ出た。麦畑はまだ伸びていなかった。それでも畑には彩りが様々にある。

f:id:iwakibio:20180206195100j:plain

なんとか年度末を乗り越え新たなフェーズへ行きたい。