いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

生存戦略なかば

 祝福を。
 相変わらず地元暮らしがしんどくて胸中グダグダのいわきびです。

 それは、この街が悪いのではない。
 それは、自分が悪いわけでもない。

 ひとえに自分の求めるものと、地元の特色や提供してくれるものが噛み合わないだけである。


 コンパクトシティとしては大変理想的な街です。規模が小さい分、比較的職住が近く(その代わり交通アクセスは何を使ってもまだるっこしい。直で行ける場所が少ない。道が狭い。そもそも道と呼んでいいのか疑わしい小路をクルマが走っている。)、他の大都市圏よりも家賃が断然安く(これは本当。ファミリー向け物件の多い郊外より、中心街それも学生街エリアだと2~3万円台の貸部屋がザクザクある)、野菜高騰の折にも産直ではなお良心的な価格で手塩にかけたであろう作物が並んでいる。チェーン店やショッピングモールが増えるかたわら個人店が健在でなかでも個人経営の飲食店とパン屋は穴場が多い。交通マナーは酷いが、人々の歩く速さは概してゆっくりで、バスや電車の乗降で多少もたついても運転手ほか皆さん気を立てることなく待ってくれます。

 ただ、主要施設が中心街に固まっておらず分散して立ち、かつその動線も考えて作られたとはとても思えない。だいいちJRと私鉄の駅が離れすぎている。県外へのアクセスが不便。そこを拠点に県外へしょっちゅう移動しながら活動しようと思う人には住みにくい街だろう。


 さて。上記に「自分が求めるもの」と書いたので、もともとどうしたかったのかを振り返っておこう。

  労働は、必ずしもやりたいことと直結していなくてもかまわない。だから異業種転職もやってみたのだけど、慣れて覚えるまでの負担は決して無視できないことが最近わかってきた。同じ非正規でも、毎月ルーティンワークが決まっていて決められた期日までに担当分を間に合わせればよかった前職とはちがう。とうぜん、業務外で下調べや勉強が要る。が、現職でしんどいのは基本的にチームワークで、一人で決めて実行するタイプの業務遂行があまりないこと。

 まだ業務のすべてを経験したわけではないが、あらためて見えてきたのが自分の得手不得手。自分にはデスクワークが向いていること。というより机上以外の場所で手や体を使うタスクが人並み外れて下手すぎること。それらに少なからずストレスを感じること。じゃあどうするのよと言われても、まずは自覚するのが大切なので記しておく。

 生計手段としての仕事における帰属意識も、自分にとってさほど重要ではない。前に職場のメンバーシップについて記事を書いたけど、
iwakibio.hatenablog.com

それを要求されない雇用形態の方が余計な気をつかわなくて済むかもしれないという思いは変わっていない。むろん、パワハラによる排除やシカトでなければだ。


 私生活の理想は?

 人間関係なら、同じクラスタの人々とつながること。この歳で自分の選好も適性も方向性もあるていどわかってきたなら、どう考えても無関係な人や不特定多数に向けて働きかけるのは非効率だと思う。学生時代、20代の頃なら見聞を広げるためにランダムなつきあいの拡充もアリだが、今はネットもあるし、物理的な距離にかかわらず同志を見つけ、関係を築いていけばよい。

 家事や用事のこなし方について。苦手なことは外注して、比較的得意なことで社会貢献すればよいのでは。外注するにもカネが必要だが、自分を快適にし、自分のQOLを向上させるために稼いでいるのだから、機会があれば遠慮なく他人に任せればよい。

ただ、人手不足のひずみは世間知らずなこの自分にさえ暮らしのあちこちに痛感できる。パート求人でシニア歓迎の文字。増えるセルフレジ。コンビニで働くのも、観光でお金を落とすのも外国人が目を惹くこと。人口減少のスピードを示した記事。隣近所の空き家。高齢で独居の方、私の親友を含む老々介護の人たち。

技術化、機械化、自動化による対応の先には、できればポスト労働社会(この語はSNSで拾っただけだが、本当にそういう社会が来るなら働くのが好きではない人には朗報ではないのか)の朝が待っていてほしい。


ここまで書いて、職場でのやりとりを思い出す。入職してからずっと、「技術はタダではない」ことを忘れた時はない。職場は学校じゃない。業務は趣味じゃない。棲む世界は違えど、私もある局面では決して世間知らずでは居られずにきた。でも、これまでとは全く異なる技術職の世界を間近に私は勤務が終わると悲壮感と寂しさに覆われた。仕事のことで思い悩めばその分執筆や研究から遠ざかる。どれもこれも中途半端で気晴らしの場所もなく、寒さと疲れとヒビ赤ギレの痛みでこの二ヶ月くらいかなり停滞した。

結局、どんな自分でもどこかで受け入れて進むしかないのだと思う。私は気負いで空回りするタイプなので、情緒的なことはひとまず置いて、仕事と自分の執筆・研究・文献集め・読み・まとめ、語学訓練の身近なタスクを一つずつこなしていくのです。

私の眺望点

祝福を。

四国内の他県では平野部でも積雪があるのに地元には(少なくとも私が住んでいる街中では)なかった。寒波のなか、ぶじマラソン大会を終えたようです。

つくづく街中は災害や厳しい気候とはかけ離れた地なのだなと思う。諸事情でチャリ通を続けている身としてはとてもありがたい風土である。が、私の置かれた状況はきわめて煮詰まりやすいことを自覚してしすぎることはない。もともと窮屈に感じていた土地で、家族と同居し、吐き出す場もろくになく、仕事もチームワークが中心で、自分の選択や決断で動く余地、自分の裁量でできることの範囲が驚くほど少ないからだ。

もちろん自分が幸運なことは自覚している。だが煮詰まったり気持ちが追い詰められたりした時、恵まれているがゆえに自分が抱いているしんどさやマイナスの感情を認めることができず、自分で自分を抑圧して小さな不満を重ねて気づけば頑なに周囲を拒否したままの硬直した態度をとることになりかねない。


家でも職場でもない場。ともすれば狭くなりがちな視界をズームアウトし、自分の境遇を相対化するにはそういう場所が必要なのだ。退勤後、自宅へ帰り着くまでに本屋やカフェへ立ち寄り一拍置く人の心境がよくわかる。


そう書きながら、家庭を運営している人は、子育てや介護をやりながら働いてる人はもっと大変なのだそもそも自分の時間などないのだ!という叫びが想像できる。しかしそうやってより困難な状況に基準をシフトさせていくとただQOLの引き下げだけが待ち受ける。

一瞬でも数分でも十数分でも!自分を遠くから省察して眺めたり、自ら段取りを立て決める時間をもとうではないか。人手不足と高齢社会と貧困の時代にあって、あらゆる技術は個々人が生きる時間の采配を自分仕様にするためにあると考える。

週末、久々に郊外へ出た。麦畑はまだ伸びていなかった。それでも畑には彩りが様々にある。

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なんとか年度末を乗り越え新たなフェーズへ行きたい。

人手不足時代の労働観

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祝福を。

やっと2月を迎え、陽射しや空の色が変化をとても楽しみにしている。通勤路に見える景色も少しずつ違ってくるはずだ。

仕事は何とか続けている。ぎこちなく、不十分ながら平日陽のある間は労働者をやっている。それは良いのだが、最近この労働観について思うこと様々あるので書いておこうと思う。

多くの人はなぜ、労働や労働者であることにやたらな価値や意義、承認欲求やプライドを付与したがるのだろう。賃労働に対する過剰な意味づけや期待など、失われた二十年の間に40代以下の世代には一掃されたと私は思っていたのだが…。

たしかに国内で貧困は進んでいる。金がないといくら自分の希望や意志や選好、適性が解っていても、選択肢がなくなる。転職でも進学でも移住でも、人生で次のステップへ移ろうと決めたところでその初期費用が賄えない。失業保険だって、前職でもらっていた賃金が低すぎたり、職業訓練期間との兼ね合いでアルバイトすら出来なかったりすると正直頼りにはならない。だから、働けるうちは切れ目なく働くという方途をとらざるを得ない。

しかし、社会参加の回路や社会性/社交性向上の機会が賃労働や雇用に限定されているかのように語る人々には違和感しかない。仕事を通じてスキルの向上を、は解るとして、人間的成長を、という考えに対して、私は意識して距離をとる生き方をしてきた。

人にはいろんなアスペクトがある。労働者であり消費者であり、地域住民であり、家庭人であり、親だったり子だったり、家族関係がなくてもその人にとってかけがえのないコミュニティがあればそのメンバーとしての顔もある。だいいちSNSは個人のアスペクトを増やす回路でもある。

そりゃ賃労働は尊いし、働くことは素晴らしいけれど、お金を媒介としない行為もある。家事、ボランティア、食物を育てることー「農業」まではいかない家庭菜園やキッチンガーデニングなどもー、人と集うこと、語り合うこと、歌い描き創り、思考や経験の所産を発信すること。

そういう行為を賃労働より低く見ることーお金が関係しないからと言って社会的評価を低くしたり、無償で特定の人々に押しつけたり、安く買い叩いたりするのは良くない。そんな価値観は20世紀に終わったはず。AIふくめ技術化が急激に発達していくならば、人間が担う労働は減るはずでだ。もちろんそれで仕事を追われる人々も出るだろう。しかしそれは、人間のやることがなくなることを意味しない。市場運営は、非市場領域によって支えられる。

これに関連して、技術が進展するのなら、一人の人が何でもできるようになる必要ってあるのだろうか?国内はすでに人口減少に陥り深刻な人手不足が蔓延するから何でも自前でできるようにしておくのが備え、なのだろうか。

私はそう思わない。どんなスキルも性質も所変われば何ぼのものだし、ある地域や業界、専攻で要求され好まれる態度やスキルが他の分野では全く評価されないなんてケースはいくらでもある。個人が多様な側面を備え、その個人の絶対数が減っていくのであれば、八方美人な態度は都合良く使われてポイされはしないか。

機械化や外注ができるならしたらよい。それに従事する人に雇用を与えることにもなる。導入当初の設備投資はかかるかもしれないが、普及すれば価格も安定するだろう。業者を頼む費用が賄えないケースもありそうだが、そのために一部は税金を使った公共サービスとして拡充がのぞまれる。

合理化。少ない労力による、できるだけ高いパフォーマンスの実現。少子高齢社会で増えるのは結局、体力、腕力の低い人なのでそういう人でも操作できること。要求されるのはこれらに加えて、分業だろう。

苦手なことを人の倍かかってできるようになったとして、歳を重ね、その頃には古びているか、人間がする必要はなくなっているかもしれない。

AIの発達を話題にする時に、人間のクリエイティヴィティが機械や動物から人間を区別する指標であるかのように言われる。創造性を、新しさとより高い価値を伴うアイディアやその所産を生み出す力と定義するなら、そこには当然労働以外の行為が多く含まれる。(もっとも創造性のなかでもオリジナリティは人間にしかできないわけでなく、じつはAIにも可能なのだが。)

そうなると、あんまり銭ゲバも困るなあと思う。

もしも何であれ存在することは善であれ!と望むなら、 その存在が生存を保つためにはじつに複雑で多様な資源と機能からなる束や網目で支えられる。個人のQOLは決して身近な特定の人(たとえば家族)だけでは負担できない。様々な役割のエージェントが存在するから可能なのです。

もしこの時代にマルチタスクを要求されたら、そのスキルはいったい誰得?誰のため?と問うてみるのも一考かもしれません。

裾野の広げ方

祝福を。
毎日早起きして段取りも確認し、さあこれでいけるだろうと思って臨む朝イチに、考えられないような勘違いやミスをすることが数日続いている。自己分析すると、要はチームワーク、身体を使う作業(といっても内勤なのでつまりは自分の机以外の場所でする作業だが)に不慣れで、ハッキリ言ってしまえば不向きなせいだろう。

作業内容を解っていても、そのために部屋の机をどう動かさねばならないか、どんな手順で何を運ぶ必要があるのか、まあそこへ思いが至らなかったということ。

これ、外業ならアウトだよなと自分でも思う。現場なんて大勢の人と声がけしあいながら共同で作業しなくてはならないのだから。議論や執筆が云々の世界ではない。机上の世界とは違う。

気をつけてはいるが、何よりそういうのが苦手で不向きなことは重々承知でいるから、本当に選べるならそういうことをしなくてもすむ仕事を選ばなければならなかったのだけど、それが諸々うまくいかなかったからこうなったのであって、経緯はこのブログに書いてきたとおり。

もちろん入職した以上はそれは禁句である。だからここへ書き連ねていることは現実の関係者にはとても言えたものではないが、冷静に自己分析するならそういうことだ。

お金がないことはとことん選択肢を削るなあ、と何かあるたびに痛感する。住む場所も、仕事も、一緒に暮らしたり過ごしたりする相手も、経済力がないと選べない。

段取りを確認して、わからなければ聞いて、作業の前に何をどこへどう配置するか理解して、スムーズに行動に移す、報告や質問は解るように発することー、と書いててうんざりする。当たり前すぎることではあるからだ。が、自分の適性くらい好い加減判る齢になって、解っていながらそれをふまえた選択ができず、やっぱり得手不得手は変わらない。

やりきれないのは、自分の得手不得手を活かして生計を立てることはあらためて遠いこと。かつ、書くのもはばかられるがせっかく書く場があるのだから吐き出しと整理を兼ねて書いてしまうと、
もともと苦手なことをこの歳で今さら練習してできるようになっても水準はやっと人並みかそれ以下だろうから、同じ負担をかけるならもう少し得意なことで稼ぐほうへ傾注したほうがコスパが良いのでは、という思い。人生なんていつ終わるかわからないのだから、災害も経済暴落も国家破綻の危機も想像だにしない地元の人たちと、あすもあさっても当たり前に命がある前提で合わせて生活していたら、死ぬ間際に後悔してもしきれないだろう。

…とまあ、書いてて酷いなあと思うけれど、やはりしばらくはここで働くつもりでいる。金銭的な問題はあと少しで解決できる。でもその後、虚脱感に囚われないように配慮しなければと思う。何しろ問題の渦中にいるときは無我夢中で格闘し、それさえ切り抜けたら光が射すとばかりに一心に進むことができたけれども、いざそれが解決して「ふつうの状態」になってみれば、マイナスがゼロに戻っただけで人より足りないもの持たざるものに目が行き失望する可能性もあるからだ。

まあそれも無事解決したらの話であって、いまだ到来しないことでぐずぐず思い悩むのはやめよう。

ただ嘆かわしいのは、一般的に本来この歳なら雇用形態はどうあれ働きざかりで仕事に傾注し、自前の家庭の有無にかかわらず安定した居場所があり、公私ふくめてつきあう人たちは決まっていて、自分特有のポジションが築けているはずなのに、自らハンドリングできる領域の少なさに唖然とすること。

それらを実現するために移住と転職を試みたはずなのだが…前者は実現しなかった。


ー何も自分の専門でなくていい、仕事でもプライベートでも何かのきっかけでかかわりを持った人々に気軽に話しかけてみるとよい、思いもよらないところから道が拓けることもあるのだから!

という内容の、若い人からの助言が脳裏に蘇る。この地じゃ誰も知らないのは当然だが、それも9年前から試し、どうにか浮上して今に至るのです。

移住と転職活動で間口を広くとれば迷走し、あたかも目的や方向性が曖昧な(たしかに着地点は曖昧すぎた。があれ以上どうすればよかったのだ。現状維持しなかったことが気に入らない者の因縁にかまう余裕はない)者と思われ、射程を絞ってネットワーク作りに励もうとすれば頑なで枠の狭い人間と思われ…。
もうどうしたら他人の意向に適うのか、いや何で生き方を他人の枠に合わす必要があるのか、ちょうどブログ始めて一年を迎えた今、あらためて忸怩たる思いがわきかえる。

それでも労働者でいられるのは支えてくれる人々のおかげであって、それには毎日感謝してある。ただ、これまでとあまりに違う世界に足を踏み入れたことに今さらながら背筋の凍る思いはする。そのせいで時折遠くを眺めては選ばなかった道に思いを巡らせる。北方の暮らしを思い出す。それが逃避でしかなくても、そうでもしないと煮詰まるか崩れ落ちてしまいそうだからだ。当事者でありながら、自分の置かれた状況さえどこか他人事のように見ている節が私にあるとすればそんな背景からだろうか。

人生の時間比率を自分仕様にすること!自分なりの方法でサヴァイヴすること。親和性の高い仲間を集めること。ハズレを引きたくない思いもある。ムダを避けたい気持ちもある。年齢を意識すればなおさら。それがいけないこととは思わない。

闇雲にランダムにという方法の忌避、もうそれを楽しむ余力はあるとは言い難い。そんなのはどちらかといえば、安穏で明日明後日も当然命のある土地にべったり溶け込んで生きる意向を持ったうえでないと難しいのではないか。

長々と連ねてしまったが、明日はこちらも雪の可能性があるのでゆっくり寝て、疲れを溜めないように養生していきます。真冬の夜にぐじぐじ悩むとロクなことが無いので。お休みなさい。

わが手でその暮らしを

職場は朝が早い。始業時刻は前職と同じなのだが、皆現場を経験している人なので、その仕様に合わせてか慣習か、7時頃には必ず誰かがいる。チームの上司も例外でなく、私が着く頃にはもう一服してくつろいでいるか、机上の仕事を始めている。

外勤となれば早起きは必須だろう。今は五時半頃起きて一通り身の回りのことをゆっくり目にやって出勤しているのだが、これがもし一人暮らしだったらもっと早く出勤できると思っている。

というのは、自分の都合で家事を先送りできるから。何でも自分でやらなきゃいけない代わりに(その前にアウトソーシングするという手もある。もちろんカネがあれば。これすらしたくても家族の許可がおりなくて嫌々自分の手でしている人は多いだろう)全てを自分のタイミングでできる。洗濯機を回してから洗顔、湯沸し炊事、の順を日ごとに入れ替えても良いし、その日の天気や優先順位でタスクの順番もやり方も変えられる。

私の朝は寝床を剥いで体操から始まる。寝起きに身体を動かして血行を良くしておかないと終日体が重かったりだるかったり動かしにくかったりする。(尤も今は体操していても午後はしんどい。疲れがとれてないのだろう。)リンパ節と首の両側をほぐし、耳たぶも首も回してやっと人心地ついたら着替え。

ハロゲンヒーターを点けたまま、時間があれば語学の勉強や読書の続きをやる。が週後半にはそんな余裕もない。そのあと窓を少し開けて真っ暗な外を見てすぐ閉め、敷布団を片づけて階下へ降り、洗顔歯磨き化粧トイレ、弁当包んで朝食、と一連の支度が続くのだけど、それがスムーズに行くとは限らない。

風呂場の排水溝に溜まった髪の毛を毎朝とる。洗面所には家族がしまい忘れた歯磨きやシャワーキャップ。洗濯機に汚れ物を突っ込んで回す間、自分の洗顔など。歯ブラシ立てはなぜか洗面所の鏡が付いた扉の中に(つまりキャビネット仕様の棚の中に)あり、〈開けて取って閉める〉、〈開けてブラシを立ててコップ置いて閉じる〉が手間である。

で、台所へ行くと今度は流しを片づけなければならない。台上には乾かすためか、洗った鍋やボウルが出しっ放し、食器カゴの中は洗った食器がギッチリの時もあり、湯を沸かしながら片付ける。テーブルには昨夜の夕飯・晩酌の跡ー落花生や空豆の殻、蜜柑の皮、鶏の骨、食べかけの煎餅やおかきや豆菓子の残りが載った皿、ーがある。決していつもではないが、くずの散ったテーブルを拭き、そんな残骸と、流しの排水溝のゴミをゴミ袋にまとめる。

なんで夜片づけないの?と思われるかもしれないが、家族の食事時間がバラバラだからです。母が仕事から帰宅するのは22時半〜23時で、そこからTV見つつ食べ、呑む。そういう状況でその後完璧な片づけなど求めるのは無理で、その時間には風呂を終えて寝る準備をしなくては睡眠がとれない。で、朝に持ち越すのだけど、どうしても急ぐ時は上記をほったらかす。

湯を沸かしながら水を足したカップに白湯を注ぎ飲む。沸いたらインスタント珈琲を作るべく水筒に粉を注いで混ぜようとするも、マドラーが行方不明な時がある。家族も何やかやで使うからだろうが、箸やスプーンを入れる引き出しはモノが多くてギチギチ、中食買って着いてくるプラのスプーンやフォークなど捨てればよいのに取っておいてここへ入れるから洗練されたとは言い難いラインナップの引き出しになってしまう。勝手に捨てたら怒るだろうし、自分に処分の権限があるのは狭義の自分のモノだけだ。

別に混ぜるのはスプーンでも箸でも構わないのだが、自分が決めたモノの配置が変わる、自分が大切だと思っているモノを蔑ろに扱われる、そういう不満の蓄積は十分ストレスになる。

寒い部屋。機密性のない室内。部屋の造りは北海道や北東北でないかぎりどこも同様なのだろうが、せめて暖房をフルにして部屋全体を暖める発想がどうして持てないのだろう。

広い台所はモノを取るのにあちこち移動して扉を開けねばならず、一回の動作で何かが完了することはない。整えた食事をテーブルまで運ぶのが造作なので流しに立って食べる。ティッシュもすぐそばにあり、終わったらそのまま流しに浸けて出られるのでよい。…しかし、いつまでこういう生活が続くのだろうか。

仕事は基本的にチームワークで、自分の担当分を締切までにやる、というスタイルとは少し違う。複数タスクがあったら、何をどの順番でどうやるか、決めるのはけっして自分ではない。仕事というのはどこもおそらくそうだろうしお前は恵まれているなあと言われればそうですねえとしか返せないのだが、今の暮らしに自分の人生を生きている実感はない。

家族も勤務もしがらみも関係ない時間帯が早朝か深夜だが、寝る時間を削ることはできない。自分で決めて、自分で動く、自分のタイミングで身の回りのことをする、それだけのことが今は自由ではない。それを何とかしたくて一昨年からジタバタしてきたのだが…

自分の手で、自分の意志で!そういう時間の使い方を取り戻すために、稼いだり気晴らししたり、未知の世界へ踏み込んだりしながら格闘する日々がまだ続きそうです。

近況

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祝福を。
いつの間にか冬が来て年が明けた。先月下旬からの絶賛風邪ひきも治って、三ヶ日は市外の祖父母宅を訪ねる。真冬になお彩りのある山道や畑、海岸線を見て、瀬戸内の良さはこういう穏やかさだな、と改めて思う。

以下の写真は先月の山道。熟柿と山茶花です。
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ふだん土日は休みだが、両親所有の車は市外での介護のため出払っており、しかしどうしても冬物を買いに出たくて普通なら自転車でも時間のかかる場所へ雨なので歩いて行った折に撮影した写真が上のもの。


地元に居て煮詰まるのは人口規模ゆえの窮屈さと交通不便さに加え、私が自家用車を持たないことも行動範囲を狭める決定的要因となっている。長くペーパードライバーだった。車など必要ない街と生活様式で暮らしてきた。今いる自宅前の敷地が狭くて段差のある畑と生垣に囲まれたかなりの難所で、車校で練習もやったがこれまで3回違う先生と自宅前の敷地入れをやって最後の回にやっとぶつけずに入った。あとは駐車・車庫入れの練習を徹底してやればふだんの運転に障りはないと思う。

仕事で外勤となれば車の運転スキルはもちろん、自分所有の自家用車がどうも不可欠らしいことがわかってきた。

でも、今年車を買うことは何としても避けたい。というのは、奨学金の返済がせっかく順調なのにまだ残っているうちにたとえば中古車をローンで買ったりしたら、実家に置き場はないので駐車場代とローン、奨学金返済で月々の固定支出だけ増えてしまい、貯金は貯まらず負債は減らずという身動きのとれない悪い事態に陥るからだ。二重の借金など負うことはできない。しかしもし、このまま年度末に今の仕事が更新有りで、しかも内勤で続けられるならば、あと一年はかかる想定だった返済残額を、夏までに完済することができる。その間事故も病気もケガもなく家族にも何もなければの話ではあるが。いくら仕事で自家用車が必要でも車じたいはプライベートな買い物であり、対して抱えている奨学金の負債はもとは税金である。どっちもローンで借金だが、優先順位からいえば後者の教育ローンを片づけることが先だろう。

まあそんなことを考えてはみるものの、最終的に更新の有無や異動を決めるのは上である。それでも考えると考えないでは心の準備や時間の使い方、人生設計に雲泥の差が出るのだ。そして書きながら、上記のことを忘年会の折にでも管理職クラスに話しておけばよかったと今頃思う。


異業種で転職して半年以上たつ。専門外ということで最初はすごく気後れし、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。今もぎこちないまま、もっとあの時ひと声かければよかった、あれを確認すべきだったと終業後後悔することはしょっちゅうある。
それでも周りに支えられ、それも自分より若い人の手を煩わせながら何とか続けている。
仕事の工程はいわば佳境に入った。

思うこと。

ここでたびたび“異業種”と書いてるように、これまでの学歴および学卒後に出会った専門とも異なる分野で職を得た。前職より高い収入と、車を使わずに通勤できる奇跡的な動線、専門外の新人をゼロから教えてくれる上司に恵まれ、人が見たら何と微温湯な環境だろうと思うかもしれない。

たしかに恵まれていることは認める。

だけど、 私は今、公私ふくめ携わっていることの全てが専従ではない。雇用も非正規だし、仕事の内容も複数にわたり、立場もどちらかというと補佐役、かつチーム内ではできれば繋ぎ役・調整役として立ち回るのが相応しく思われ、同じ作業をずっとやって特定の技能を習得するという立場とも少し違う。

生来の不器用さにくわえ、チームワークや手や身体を使うタスクの不慣れなこと。

制服ー作業服ーを着るのも初めてなこと。

これまで就いた仕事では貴重な経験を積ませてもらったけど、結局はデスクワークが中心で、身体を使いモノを運んだりチームを組んで仕事をするという経験はなく、段取りどころかモードやハビトゥスも解らなくてそこから覚える必要があること。オフィスへたまに出入りする外勤の人の話、管理職のやりとりを聞いて、自分がいわゆるガテン系の世界をどれだけ知らないか痛感し、背筋が冷たくなる。
秋から教わった図面訓練に苦しんでいたこともあって、自分はここに居て良いのだろうかと何度もいたたまれなくなった。

ペーパードライバーなのは自己責任だろうが、この地元に根を下ろし当たり前に車を乗り回して家庭を支え切り回す人たちとは違う暮らしを営んできた。加えてだいたい四年もこっちに居るつもりは無かった。

そういうことをひっくるめてふりかえってみると、今回の転職はゼロからというよりマイナスからのスタートだと認識するのが妥当なのかもしれない。

そして何より大きな疑問、何か行き詰まるたびに胸に湧き上がるのは、今の生き方のどこに自己決定、自己選択がどこにあるのか?という問いだった。もちろん求人に応募し承諾したのは自分であって、それに後悔はしていない。でも、今の生活は昨年の今頃ーこのブログを始めた時期ーに思い描いたものとは想像もつかないほど大きく違う。たまたま良い偶然が重なっただけで、自分が望み、決断し、選んだコトで自分の未来が作れているわけではない。そんな思いが自分の内面にくすぶっている。

職場で、直属の上司をはじめ「自分の好きなことでご飯を食べている」人たちの活きた姿を見るほどに、自分の情けなさは募る。 実家住まいで自分の身の回りのことさえ自分のタイミングでできない窮屈さを味わう時を思い出しても、前より恵まれた待遇で良かったわねえと素直に思いたくない自分がいる。

それはきっと、他人の胸三寸でいきなりハシゴを外される経験を過去に二度しているからだろう。どんなに良いものを他人からあてがわれてもそれを奪う主導権は自分ではなく他人にある。拠り所や支えは一転して足かせになり得ることも、この歳なら解っている。

しかし、それなら今の境涯をどうにかして自分のものにしていけばよいだけだ。ある事実を必然の帰結とみなすか、それとも数多ある可能的世界の中から中核を発見し自由かつ自発的に承認するのか。大事なのは偶然を本質へ転化すること。そんなことを昨年は何度も以下の本を支えにして倒れずにきた。(同書所収「自然の模倣」終盤をどうぞ。)

https://www.amazon.co.jp/われわれが生きている現実-技術・芸術・修辞学-叢書・ウニベルシタス-ハンス-ブルーメンベルク/dp/4588010190


そうして蘇るのは真夏から今に至るまで事あるごとにかけてもらう以下の言葉だった。

「焦ることないです、一個ずつやっていきましょう!」

そう言って上司は、細長い器に小さな部品を一つずつはめていく動作を身振りで示してくれる。

何かを成すのに純粋に自分の力だけなんてことがはたしてあるだろうか。どんなに些末な営為も多くの条件からなる歯車の一致によって実現することを思い出しながら、この身体に現れる経験こそ誰にも奪い得ない無二の光景なのだと意識して残りの命を生きたいと思うのです。

陶器、道具、技術の先に

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祝福を。この呼びかけで始まる記事もずいぶん久しぶりになる。仕事が新たな作業工程に入ったのを機に、スキル習得の難しさや他にも業務で慣れないことが相次ぎ、また長らく乗ってない車の運転練習もして(都会へ移住出来ればこいつはそもそも不要ではないか!地方で必要なアシそして業務では必須と解っていながら都会で車なし生活成功者を思うと歯噛みするほど憤ろしい)、季節の変わり目もあいまった半月前、風邪をひいてしまった。今はだいぶ回復したものの、何か釈然としない思いが続いている。

理由はふたつ。

一つ目は、単にスキル習得がなかなかうまくいかず気まずい思いが続いたこと。

二つ目は、転職して就いた現職の業界が、自分がこれまで身を浸してきた世界とかなり異なるとあらためて思い知らされたこと。まあ外勤となればガテン系だし、オフィスワーカーとは慣行、生活様式、モード、ハビトゥスはちがって当然だし覚悟して入ったはず。が、来年継続できるか、仕事ふくめ自分の今後の身のふりを考える段になると、「本当に続けられるのか?(契約のことは最終的に上が決めるとして)続けたいと思うことは果たして正しいのか?」というどうしようもない不安が胸中を渦巻いている。

そんな中迎えた月初め三連休、山間部で開かれた陶器のお祭りに行ってきた。ここは帰郷して始めて勤めた職場があり、当時の同僚も出店することを知ったからだ。

懐かしい山道をバスに揺られて向かう。会場はどう考えてもクルマでないと行けない場所なのだが、自家用車は家族が使ってるせいもあってわざわざバス停から歩いていくのがいわきびの頑なで進歩のないところ。

会場に連なるテントには各窯元特有の風合いや色をそなえた食器や日用品、アクセが並ぶ。私は気後れしながら同僚を探す。

はたしてその人はいた。声をかけるとその人は大変驚いていたが嬉々として迎えてくれた。私たちはそれぞれの職場の近況を話す。言葉を交わしたのは数分だろう。その人は今もその職場へ勤めていて、勤務と制作の両立は大変だろうと思う。でも物作りに携わりながら別の仕事を続ける人と会って、何かしらヒントを得たかった。

別れた後、他店を周りながら私は考えを巡らせる。箸置きを置く店では「これから行事ごとも増える時期ですし、(使えば)食卓が賑やかになりますよ」と説明される。和紙に描かれた絵を転写して絵付けをしたという湯呑みを売る店の人は「一点一点みんな違っていて同じものは一つと無いんです」と仰る。一輪挿しや花瓶を扱う店には野の花が生けてある。ドライフラワーも一緒に商う窯元では観葉植物が青系の植木鉢に収まり、店全体が街角の花屋を思わせる。

これらみな、人の手が作る善なるもの。

私にとって地元生活はずっと仮のもので、すぐ移動するのだからと頑なに物を増やすまいとしてきた。また震災後断捨離に励み、とにかくシンプルでミニマムな生活を、と躍起にもなった。だが、物とくに道具を作ることの根底には、それらを使ってより楽しく、健康で、笑顔で、つまりは今よりも善く在りたいという願望がある。足し算ばかりの時代は終わった、これからは引き算の発想がより良い生き方をつくるーとよく言われる。それはそうなのだろうけど、そもそもなぜ人は物を作るのか。制作/製作ふくめ、ものを生み出す技としての技術(テクネー)は、脅威をもたらし理不尽で意のままにならない自然や現実世界に身を置く人間が、その世界を理解し制御し、そして意味を与えて、弱い者でも安らうことが可能なもう一つの現実をつくりだすためにあるのだと思う。
人工物の使用と普及が人間の生存可能性の領域を拡げ、「こんな生き方もあったのか」「こんなふうにして生きることもできるのか」という感嘆を禁じ得ない生の技法を創りだしていることは事実だ。
インターネットの登場、デジタル機器の普及、産業社会をもたらした近代化、その前の技術。もっとさかのぼれば鍛冶の技術、土をこねて焼くこと、石を割ることー。

私が生きているのはとても窮屈で煮詰まりやすい環境だが、そう思う動機にさえ「より善く在りたい」という志向がついてまわることを胸のかたすみに置いておきたいのです。