いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

近況

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祝福を。
いつの間にか冬が来て年が明けた。先月下旬からの絶賛風邪ひきも治って、三ヶ日は市外の祖父母宅を訪ねる。真冬になお彩りのある山道や畑、海岸線を見て、瀬戸内の良さはこういう穏やかさだな、と改めて思う。

以下の写真は先月の山道。熟柿と山茶花です。
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ふだん土日は休みだが、両親所有の車は市外での介護のため出払っており、しかしどうしても冬物を買いに出たくて普通なら自転車でも時間のかかる場所へ雨なので歩いて行った折に撮影した写真が上のもの。


地元に居て煮詰まるのは人口規模ゆえの窮屈さと交通不便さに加え、私が自家用車を持たないことも行動範囲を狭める決定的要因となっている。長くペーパードライバーだった。車など必要ない街と生活様式で暮らしてきた。今いる自宅前の敷地が狭くて段差のある畑と生垣に囲まれたかなりの難所で、車校で練習もやったがこれまで3回違う先生と自宅前の敷地入れをやって最後の回にやっとぶつけずに入った。あとは駐車・車庫入れの練習を徹底してやればふだんの運転に障りはないと思う。

仕事で外勤となれば車の運転スキルはもちろん、自分所有の自家用車がどうも不可欠らしいことがわかってきた。

でも、今年車を買うことは何としても避けたい。というのは、奨学金の返済がせっかく順調なのにまだ残っているうちにたとえば中古車をローンで買ったりしたら、実家に置き場はないので駐車場代とローン、奨学金返済で月々の固定支出だけ増えてしまい、貯金は貯まらず負債は減らずという身動きのとれない悪い事態に陥るからだ。二重の借金など負うことはできない。しかしもし、このまま年度末に今の仕事が更新有りで、しかも内勤で続けられるならば、あと一年はかかる想定だった返済残額を、夏までに完済することができる。その間事故も病気もケガもなく家族にも何もなければの話ではあるが。いくら仕事で自家用車が必要でも車じたいはプライベートな買い物であり、対して抱えている奨学金の負債はもとは税金である。どっちもローンで借金だが、優先順位からいえば後者の教育ローンを片づけることが先だろう。

まあそんなことを考えてはみるものの、最終的に更新の有無や異動を決めるのは上である。それでも考えると考えないでは心の準備や時間の使い方、人生設計に雲泥の差が出るのだ。そして書きながら、上記のことを忘年会の折にでも管理職クラスに話しておけばよかったと今頃思う。


異業種で転職して半年以上たつ。専門外ということで最初はすごく気後れし、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。今もぎこちないまま、もっとあの時ひと声かければよかった、あれを確認すべきだったと終業後後悔することはしょっちゅうある。
それでも周りに支えられ、それも自分より若い人の手を煩わせながら何とか続けている。
仕事の工程はいわば佳境に入った。

思うこと。

ここでたびたび“異業種”と書いてるように、これまでの学歴および学卒後に出会った専門とも異なる分野で職を得た。前職より高い収入と、車を使わずに通勤できる奇跡的な動線、専門外の新人をゼロから教えてくれる上司に恵まれ、人が見たら何と微温湯な環境だろうと思うかもしれない。

たしかに恵まれていることは認める。

だけど、 私は今、公私ふくめ携わっていることの全てが専従ではない。雇用も非正規だし、仕事の内容も複数にわたり、立場もどちらかというと補佐役、かつチーム内ではできれば繋ぎ役・調整役として立ち回るのが相応しく思われ、同じ作業をずっとやって特定の技能を習得するという立場とも少し違う。

生来の不器用さにくわえ、チームワークや手や身体を使うタスクの不慣れなこと。

制服ー作業服ーを着るのも初めてなこと。

これまで就いた仕事では貴重な経験を積ませてもらったけど、結局はデスクワークが中心で、身体を使いモノを運んだりチームを組んで仕事をするという経験はなく、段取りどころかモードやハビトゥスも解らなくてそこから覚える必要があること。オフィスへたまに出入りする外勤の人の話、管理職のやりとりを聞いて、自分がいわゆるガテン系の世界をどれだけ知らないか痛感し、背筋が冷たくなる。
秋から教わった図面訓練に苦しんでいたこともあって、自分はここに居て良いのだろうかと何度もいたたまれなくなった。

ペーパードライバーなのは自己責任だろうが、この地元に根を下ろし当たり前に車を乗り回して家庭を支え切り回す人たちとは違う暮らしを営んできた。加えてだいたい四年もこっちに居るつもりは無かった。

そういうことをひっくるめてふりかえってみると、今回の転職はゼロからというよりマイナスからのスタートだと認識するのが妥当なのかもしれない。

そして何より大きな疑問、何か行き詰まるたびに胸に湧き上がるのは、今の生き方のどこに自己決定、自己選択がどこにあるのか?という問いだった。もちろん求人に応募し承諾したのは自分であって、それに後悔はしていない。でも、今の生活は昨年の今頃ーこのブログを始めた時期ーに思い描いたものとは想像もつかないほど大きく違う。たまたま良い偶然が重なっただけで、自分が望み、決断し、選んだコトで自分の未来が作れているわけではない。そんな思いが自分の内面にくすぶっている。

職場で、直属の上司をはじめ「自分の好きなことでご飯を食べている」人たちの活きた姿を見るほどに、自分の情けなさは募る。 実家住まいで自分の身の回りのことさえ自分のタイミングでできない窮屈さを味わう時を思い出しても、前より恵まれた待遇で良かったわねえと素直に思いたくない自分がいる。

それはきっと、他人の胸三寸でいきなりハシゴを外される経験を過去に二度しているからだろう。どんなに良いものを他人からあてがわれてもそれを奪う主導権は自分ではなく他人にある。拠り所や支えは一転して足かせになり得ることも、この歳なら解っている。

しかし、それなら今の境涯をどうにかして自分のものにしていけばよいだけだ。ある事実を必然の帰結とみなすか、それとも数多ある可能的世界の中から中核を発見し自由かつ自発的に承認するのか。大事なのは偶然を本質へ転化すること。そんなことを昨年は何度も以下の本を支えにして倒れずにきた。(同書所収「自然の模倣」終盤をどうぞ。)

https://www.amazon.co.jp/われわれが生きている現実-技術・芸術・修辞学-叢書・ウニベルシタス-ハンス-ブルーメンベルク/dp/4588010190


そうして蘇るのは真夏から今に至るまで事あるごとにかけてもらう以下の言葉だった。

「焦ることないです、一個ずつやっていきましょう!」

そう言って上司は、細長い器に小さな部品を一つずつはめていく動作を身振りで示してくれる。

何かを成すのに純粋に自分の力だけなんてことがはたしてあるだろうか。どんなに些末な営為も多くの条件からなる歯車の一致によって実現することを思い出しながら、この身体に現れる経験こそ誰にも奪い得ない無二の光景なのだと意識して残りの命を生きたいと思うのです。

陶器、道具、技術の先に

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祝福を。この呼びかけで始まる記事もずいぶん久しぶりになる。仕事が新たな作業工程に入ったのを機に、スキル習得の難しさや他にも業務で慣れないことが相次ぎ、また長らく乗ってない車の運転練習もして(都会へ移住出来ればこいつはそもそも不要ではないか!地方で必要なアシそして業務では必須と解っていながら都会で車なし生活成功者を思うと歯噛みするほど憤ろしい)、季節の変わり目もあいまった半月前、風邪をひいてしまった。今はだいぶ回復したものの、何か釈然としない思いが続いている。

理由はふたつ。

一つ目は、単にスキル習得がなかなかうまくいかず気まずい思いが続いたこと。

二つ目は、転職して就いた現職の業界が、自分がこれまで身を浸してきた世界とかなり異なるとあらためて思い知らされたこと。まあ外勤となればガテン系だし、オフィスワーカーとは慣行、生活様式、モード、ハビトゥスはちがって当然だし覚悟して入ったはず。が、来年継続できるか、仕事ふくめ自分の今後の身のふりを考える段になると、「本当に続けられるのか?(契約のことは最終的に上が決めるとして)続けたいと思うことは果たして正しいのか?」というどうしようもない不安が胸中を渦巻いている。

そんな中迎えた月初め三連休、山間部で開かれた陶器のお祭りに行ってきた。ここは帰郷して始めて勤めた職場があり、当時の同僚も出店することを知ったからだ。

懐かしい山道をバスに揺られて向かう。会場はどう考えてもクルマでないと行けない場所なのだが、自家用車は家族が使ってるせいもあってわざわざバス停から歩いていくのがいわきびの頑なで進歩のないところ。

会場に連なるテントには各窯元特有の風合いや色をそなえた食器や日用品、アクセが並ぶ。私は気後れしながら同僚を探す。

はたしてその人はいた。声をかけるとその人は大変驚いていたが嬉々として迎えてくれた。私たちはそれぞれの職場の近況を話す。言葉を交わしたのは数分だろう。その人は今もその職場へ勤めていて、勤務と制作の両立は大変だろうと思う。でも物作りに携わりながら別の仕事を続ける人と会って、何かしらヒントを得たかった。

別れた後、他店を周りながら私は考えを巡らせる。箸置きを置く店では「これから行事ごとも増える時期ですし、(使えば)食卓が賑やかになりますよ」と説明される。和紙に描かれた絵を転写して絵付けをしたという湯呑みを売る店の人は「一点一点みんな違っていて同じものは一つと無いんです」と仰る。一輪挿しや花瓶を扱う店には野の花が生けてある。ドライフラワーも一緒に商う窯元では観葉植物が青系の植木鉢に収まり、店全体が街角の花屋を思わせる。

これらみな、人の手が作る善なるもの。

私にとって地元生活はずっと仮のもので、すぐ移動するのだからと頑なに物を増やすまいとしてきた。また震災後断捨離に励み、とにかくシンプルでミニマムな生活を、と躍起にもなった。だが、物とくに道具を作ることの根底には、それらを使ってより楽しく、健康で、笑顔で、つまりは今よりも善く在りたいという願望がある。足し算ばかりの時代は終わった、これからは引き算の発想がより良い生き方をつくるーとよく言われる。それはそうなのだろうけど、そもそもなぜ人は物を作るのか。制作/製作ふくめ、ものを生み出す技としての技術(テクネー)は、脅威をもたらし理不尽で意のままにならない自然や現実世界に身を置く人間が、その世界を理解し制御し、そして意味を与えて、弱い者でも安らうことが可能なもう一つの現実をつくりだすためにあるのだと思う。
人工物の使用と普及が人間の生存可能性の領域を拡げ、「こんな生き方もあったのか」「こんなふうにして生きることもできるのか」という感嘆を禁じ得ない生の技法を創りだしていることは事実だ。
インターネットの登場、デジタル機器の普及、産業社会をもたらした近代化、その前の技術。もっとさかのぼれば鍛冶の技術、土をこねて焼くこと、石を割ることー。

私が生きているのはとても窮屈で煮詰まりやすい環境だが、そう思う動機にさえ「より善く在りたい」という志向がついてまわることを胸のかたすみに置いておきたいのです。

いわきび、洋上を見る

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週末に晴れていれば港へ行くことが楽しみになっている。と言っても勤務を終えて、もし夕焼けがきれいで海の方角へ行きたくなったら自転車を走らせる、という気まぐれな散歩で、気候が良く疲れがひどくなければ平日夕方でも足を運ぶ。

職場は海の近くではないけれど、ある道順に従えば確実に海へ出るルートがある。日の長い夏場は夕涼みを兼ねてそこへ疾走するのがほんとに好い気分転換になった。最近は雨天と担当業務がうまく進まない気まずさゆえに、しばらく行ってない。

港にはさまざまな時間が交差する。漁船も旅船も貨物船もそれぞれの都合で進みまた停泊する。海沿いに集う者もまた思い思いの態度で時間を過ごす。釣糸を垂れる人、ラジオをつけてワゴン車の扉を放ち洋上を見やりながら実は終日そこに居るのではと思われる人、積荷の上げ下ろしに組んだ相手と短いやりとりを交わすペア労働者。倉庫には猫が住み着き、潮の匂いが張りつくコンクリートの上や茂みの中をコロコロ駆けまわる。夕涼みの散歩をする付近の高齢者。海を見せに気晴らしに来た子連れ。ヤンキーぽい数人連れ。

瀬戸内海沿岸は地形が込み入っているわりにのどかで海岸ギリギリまで民家や店が並ぶ。港の縁から臨む対岸は入江で静かな佇まいに惹きつけられる。

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私は未熟な難破船みたいなもので、今は入江に船を停泊させてその修復と補強、新たな技術獲得の最中といえる。
半年前、地元脱出を試みて瀬戸内海を渡ろうとしたのだがうまくいかず、何転かの末に地元で転職した。未経験OKかつ必要なスキルは入職してから教えてくれるとのことで、げんにそうしてもらってきた。素人の新人を受け入れてゼロから教えるなど、誰でも呑める案件ではない。日々教わる作業や技術に私は子どものように単純に驚き、その鮮やかな様子にただ見入っていた。

そんな業務も新たな工程を迎え、技術習得は徐々に実務へと移っていく。私はなかなか自分の分が思うように進まず、気まずさと後ろめたさに包まれながらも淡々と振舞っているつもりで居る。

陸地から臨む洋上はとても輝かしく見える。磯の香のコンクリートから、旅客船待合室から、山道に繁るニセアカシアの合間から眺める海は遠くでありながら、しかし確実に今居る自分の現実世界の風景として欠かせない一部でもある。

入江の暮らしは荒っぽく粗暴な面もあるが、とても丁寧な細部をもつ。軒の明かりや鉢植に花壇、掃き清められた玄関、厨の窓を見てそれがわかる。ファミリー層が車で乗り付けるに適した大型量販店、ファミレス、マクド、中規模スーパーが並ぶ、決して洗練されたとは言えない雰囲気の場所で自分も休憩をとりながらやはり落ち着くのがわかる。

地元はどこまで行っても地元で煮詰まりやすい。このことにどんなに注意をはらっても行き過ぎることはない。でも、そんな地元をあえて選び移住また帰郷した人たちがいる。その人たちにここの風景はどう見えているのだろう。浜辺にゆっくり潮が満ちるように、手元の砂や貝殻をつかむように、充溢そのものと映るのだろうか。
だとしたら、海の彼方に沈む夕陽も波間を照らす灯台や船の明かりも、決して遠くの手の届かないものではなく、自分の身近に足元にすでに与えられているのかもしれない。新たな技能習得に煮詰まり、早朝目覚めてしばらく涙を拭いてから起き出すこともあったこの半月。どこに焦点をしぼるべきかわからなくなりかけていた。だが一日を、ダメなら一呼吸を、丁寧に生きてみるのも悪くない。気まずい空気の中に滞留してはいけないが、どのみち仕事以外の研究を捨てる気はないので、複数の時間を意識的に持ちながら前へ進んでみよう、と思うのでした。

私というフォルム


この半年間、自分の身につける物を選ぶときにサイズを頻繁に間違えている。職業訓練で購入したテキスト用の鞄、転職先の制服のサイズ、通勤中に羽織ろうと売れ残り値引きで買ったSサイズのフードなしパーカー、ペンケース、1.5cm程度大きいばかりに引出しへの収まりが悪い道具箱。

実質わずか数センチの差にすぎないのだが、いざ着用したりモノを入れたりすると明らかに合わない。無視して使い続けることはとてもできないので、手放して別の物に取り換える。

この半年に起きた職と社会的立場の大きな変化は生活様式の変化であり、勤務先や扱うモノの変化は移動の動線やハビトゥスを変える。とうぜん、それを助ける道具や服装も変わってくる。それらがきちんと選べない&入手できないということは、どんな物が今の自分に相応しいか、今自分がどういう立場なのかという認識をとらえ損ねていたことを意味する。

早い話がトレンチコートとフード付きパーカーでは合わせる服装も相応しい身のこなしもちがう。要するに最近になってようやく自分に起きた形式ーstyleとformの変化を具象レベルで実感しているところなのだ。

最近、仕事では図面を描くことが続いている。研究対象となる物を観察し、その結果を精緻に方眼紙に図化していく作業である。かなり目が疲れ、神経を使い集中力が要る。まずモノを正確に据えて、次に外形となる点を落とし、一周したらモノを見ながらその点をつないで線を描いてゆく。そうやって出来た外形線、モノの輪郭が全ての基本となる。

描いた図面は上司がチェックする。この人は長い間それに従事してきた熟練者だ。これ以外にも色んな仕事を経験していて有能な人なのだが、何より目をみはるのはその卓越した管理能力である。ご自身でも「段取り魔」なのだと言う。
—段取りを決めて早めにこなしておけば、なにか起きてもすぐ対応できるでしょう?というのがご本人の言い分なのだが、その緻密な計算と計画は仕事のみならずかの人の生活隅々に息づいてみえる。

 段取りはフォルムをつくる。

個人がなす行為、仕事、生活様式や人生の軌跡においてstyleやformを考えるとき、上記の点に相当するものに段取りは含まれる。ここに、熟慮されたplan(計画、設計)、design(構想、設計)といった個人が意図して内面に抱くイメージを現実生活の中で具体的な形にしていく思考形態が浮かび上がる。

 もちろん予期せぬ出来事ーアクシデント、トラブル、予想だにしなかった幸運、人やモノとの出会い、偶然性のすべてーもまた、その人に固有のフォルムを形づくる。だがおそらくこの人が心の奥で望んでいるのは、かれ自身にしか生み出せない無二の形、ありていに言えば独創的な人生をつくることなのだろう。
 
 図面といえばイベント会場のレイアウトなんかも自ら考案し作図し、かつその配置はすべて頭に叩きこんである、だから何があっても対応できるのだー、そういう内容のことを仰るのも聞いた。だいたい今携わっている事業じたい、たとえばここ数ヶ月の作業を工程全体を見ながら割く時間や労力を加減するように、自身のworkなり業界の今後なりの全体を見据えてその位置づけをつかんでいる。

 それらはむき出しの野心とワンセットであり、私はそこに過ぎ去った近代精神の典型とともに新プラトン主義の残影さえ見る思いでいた。
 
 しかし深く考えを巡らせてみると、きっとその手こそは、観察結果の図化、イメージやコンセプトの具象化、思い描く構想を思い描いたとおりに実行に移すことの難しさを誰よりも知っているはずなのだ。たとえ内々でも対外業務でも事をスムーズに進めるために根回し、念押し含めてそのつど動き、調整をはかってきたのだろう。「図」をより明瞭にこの上なく輝きを放つものとして浮かび上がらせるための「地ならし」への傾注は、どんなworkにも欠かせない。


ひるがえって私はどうか。

図面に必要な形はよほど集中して観察しないとまだつかめない。

私生活では実家住まいで、自分の段取りはいつ脅かされるかわからない。家の中に自分の動線などないに等しく、とくに台所は家族の気まぐれによって自分の意志や意図でなす動きは必ずと言ってよいほど寸断される。自室も時期によってはPCや机を使いに家族が入るため、一部の文献はカバーをして背表紙を奥に置いている。

地元は交通が不便で文化的流通も良いと言えず、望むものにアクセスするには都会の五倍くらい時間がかかる。自分のモビリティ改善には車の運転がどうやら不可欠らしいが、両親それぞれが所有する車は介護の都合で週末はふさがっている。

そもそも身の振りが行き詰った九年近く前を想起しても、もし当時有益な知識や情報を得られたとしても自分の根源的な望みや意志はとても通らなかっただろうなと思う。他人の胸三寸や時の政治や制度の都合で前途が断たれることも人生にはあるのだと思うしかなかった。

それゆえあの頃から私が実践してきたのは、いわば出来事や対象との対話によってつくられる軌道を人生のフォルムとする方法だった。手近な目の前のことに集中してそこから得られる反応や手応えを受けて次やるべき事を浮彫りにして、それらによって形成される作業の流れや動線に自らを重ね軌道に乗せる。

たとえば粘土や肉だねをこねる、球を投げるのと同じで、一連の動作にも自分の身体を通して返ってくる対象の反応をみて次の一手を決めるというプロセスの連続によって形はできてくる。つる植物が、環境との相互作用の中で成長の過程をそのまま独自の草姿として無二のフォルムを所産としてつくりだすように。

そうして同世代が踏む既定路線から外れた就活や軌道修正に励んで数年を過ごした。当時はまだそれを愉しむ余裕もあったのだが。

 わたしの輪郭、わたしのフォルム。
 わたしそのものとしての形。

 半年間それらをつかみあぐねていた。
 

 内面形相をモデルとした人生設計も、自らを素材として差し出したり、他者や世界の感受やケアにまわる生き方もしっくりこない。物質に先立って個人が内面に抱き描く形でもなく、物質から現れる形を物にひざまずき受動的に汲み取る方向でもなく。

〈能動態-受動態〉の図式に収まらない「中動態」という概念がヒントの一つとして思い浮かぶ

 それ以上に自分が惹かれるのは、所与としての既存の世界に埋め込まれた、新しく価値や意味のある何か—作品のこともある—を見いだすこと、(再)発見することによる創造性である。たとえば日常世界に埋没しているある物やその配置が、ある時ある個人の身体を通して知覚されることで無二の光景(シーン)として形を結ぶことがある。その眼や皮膚を通してそれは埋没から明るみに引き上げられ、一枚のタブローのように光を放つだろう。詩や映画の制作にあって、素材というより作品それじたいが、世界の隅々に埋まっていると考えられる。また経験や学習の蓄積は、出来事や対象を迎え撃つ側の感性や知覚、発見の能力を鋭く研ぎ澄ます。世界の「意識化」によって世界との対話をひらき、〈世界と共に在る〉あり方が可能となる(P.フレイレ)ように、個人がモノや出来事との相互作用や応答によって世界への信頼を紡ぎなおす過程の創造性を見たい。
その一べつ、気づき、ある一つの光景として知覚・感受されるその一瞬が創造であり、作品たりうることを、私は何らかの形で示していくでしょう。

メンバーシップについて

先日、ひょんなことから前職の「その後」を知った。毎年この月に県外移動を伴う大規模な人事異動があるのだが、今年は始まって以来という位の大異動らしい。管理職クラスの県外異動、退職もある。内部異動、非正規メンバーの異動も含めればかなり大がかりな変化である。何だか、感慨深い気持ちが押し寄せる。
異動は10月1日付のはずだから、県外へ出たメンバーは二週間にも満たない期間で引継ぎ、業務完了、引越し、挨拶を行う怒涛の日々を過ごしただろう。同じ業界とはいえ違う土地、違う部署へ行けばこれまでと全然違うメンバーと仕事が待っており、慣れるまでは大変だろうなと思う。むろん県外より単身赴任のかたちでここに数年を過ごした人は、問題山積みの現場を離れ、愛する家族の待つ馴染みの地へ大手振って帰れるのだから嬉しいにちがいない。

さてこのように、どんなに煮詰まった現場でも異動があればそれまでの諸々を強制リセットさせられる。管理職クラスまで変わるとなると、それまでとは異なった仕事のやり方を余儀なくされるかもしれない。それでも新たなメンバーで、嫌々ながらも新たな関係を作っていくしかない。それはお互いとても大きな負荷を伴うことだけど、正規雇用でその会社の「メンバー」として認知されているだけまだマシと言えるかもしれない。

前職だけでなく、今やどこの職場もそうなのだろうが、非正規雇用労働者の働きなしに仕事を回している事業所があったら手を挙げてもらいたい。おそらくそんな職場はないはずだ。その身分は、直雇用か否か、また直雇用でも業界によって様々な職階に分かれ、期間も待遇も色々だ。戦後強固だった日本型企業社会の伝統の影響で、この国には同一価値労働同一賃金の原則も、企業横断的な労働組合も定着していない。同じような仕事をして同じような責任を課されていても、正規-非正規の処遇格差は厳として埋めがたい。

とはいえ、この十年近くでは雇用や身分の流動性をプラスにとって逃げ足の速さ、割り切り方など独自のサヴァイヴァル・スキルを磨く非正規労働者もいる。有能で要領の良い人なら、大都会ではたしかにそういうことが可能だし、頼もしいなと思う。仕事はしょせん生存資源確保の手段であり、ライフワークとはキッパリ分ける!という生き方も十分価値ある生の技法である。

にもかかわらず、メンバーシップについて私が思い巡らせるのは、仕事よりも「学校」で異分野、他専攻、他大学から来た者、さらには非正規身分の学生に対して理不尽な扱いをそこそこ見てきたからだ。

最初から問題含みの国策だった大学院重点化の時期と重なったせいもあろう。本当にそれが生涯身を捧げる仕事かどうか熟慮不十分なまま進学した私の不徳もあるだろう。それでも教育の場では、まあ大学院は研究の場ではあるけれど、学校という空間の中ではただ「教え-学ぶ」というとてもシンプルな行為をベースに日々の生活が淡々と進行していく。
教育はたしかに未来のヴィジョンや希望がなければ機能不全に陥るが(教育困難校が抱える問題のベースはこれである)、教育は「今日行く」(たしかジャパンマシニスト刊『おそい・はやい・ひくい・たかい』なる雑誌の創刊・編集者、岡崎勝氏の言葉)こと、ギリシャ語で自由時間を意味するスコレーとしての〈いま・ここ〉を安心して生きることが出発点であり、また到達点もそこに尽きるだろう。

そういう場で、正統な身分かどうか、お金を払う側かもらう側かは、決して本質的なことではない。畑ちがいであること、現役または専業の学生でないこと、偏差値の低い学校から進学してきたこと等自体を申し訳なく思わせる雰囲気の学校というのはまだたしかに存在している。だが、学問でも仕事でも業界が裾野の拡充を望むなら、メンバーシップの射程を見直すことは必然だと思う。

かくいう自分も異業種で転職して、畑違いであることに当初ものすごい引け目を感じていた。いまも少しそれはあるのだが、おそらくは自分のアイデンティティ確認の意味あいもあったのでしょう。「私はあなた方とは異なるジャンルに居た/居るけれど、それは私にとって大事な自分の一部でもあるのです」と。

しかし職場の人は制服を指して、これを着ていればどんな職階でもここのメンバーなのだと言ってくれる。圧しに圧した業務の工程はいま新たな局面に入り、出来高からみると私は給料もらっていいのかと思う日さえあるが、私は、どんなに試されても今のチームについていくと決めたので、今日はここで筆を置き、感慨から抜け出すことにいたしましょう。

故郷離れて~創作の彼方へ

 世の夫君あるいは女性を恋人にもつ男性たちは、女が道を究めようとすることをどのように考えているだろうか。
 たとえば芸術やスポーツや特別な技能を要する仕事の技芸を、一人の女性が趣味道楽の域を超えて習得し貫こうとするとき、身近な男性はどんな態度をとるだろう。きっかけは些細なことかもしれない。それこそちょっとしたお稽古事やカルチャースクールでの実践を機に、本格的にやってみたい、遊びではなく本気で、それが社会的地位や収入と結びつくかは不明だが、それらを差し置いても「趣味を超えて」やりたい。彼女のそういう姿勢を見て、夫や恋人、父親、先輩、あるいは上司や師である男性が示す反応とは。

 すなおに応援するだろうか、というよりまずそのことを喜ぶだろうか。その道が険しければ彼女の身を案ずるあまり難色を示すかもしれないし、それゆえに反対するだろう。もし自らが先導役となれば、彼女の技能が一定水準に達するまでは心を鬼にしてかなり厳しい態度をとる必要がある。メンタル・フィジカルあれこれの課題や負荷を課し、とうぜんネガティブなことを言い、時に彼女が涙する姿を目の当たりにするだろう。教える側に、教わる側の何倍もの忍耐力と厳しさがなければ続かないのであり、そんな関係は決して気安く引き受けられないほど苦いはずだ。

 次に、鼻で笑ってまともにとりあわない反応が予測できる。これは何より彼女に自分より劣位であってほしい、その成長も向上も望まない者がとる態度である。世間は厳しい、道は難しい、素人にはしょせん無理だ、それより手近なスーパーで売っているあの商品(服や食べ物など)を消費しよう、テレビのあの番組でも見て快を得よう、われわれが幸福になるにはそうした満足で十分なのだ—。そういう態度はここで詳述しなくとも巷にありふれた一般的な光景であろう。

 また嘲笑を通り越して非難と攻撃に転ずるかもしれない。彼は彼女の姿勢に高尚な何か、高慢ちきに映る何かを感じ取り嫉妬に駆られ、自らの劣等感に「世間の常識」や俗物趣味を重ね合わせ、それらを怒りとして表出するだろう。彼女を自らの低俗な次元に引きずりおろそうと躍起になる姿が目にうかぶ

 この手の葛藤はたとえば田辺聖子『花衣ぬぐやまつわる...-わが愛の杉田久女』(集英社文庫)などによく描かれている。
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 いずれにせよ、多くの場合女は「囲いの花」でしかない。家庭や男の腕に囲われ、そこで生活の糧を得ることを構造化され、本当は彼女自身の素地に豊かな源泉も伸びしろもあるにもかかわらず、自身がそれに目覚めて自ら伸びようとしても囲いはその枠を超えて芽や枝を伸ばすことを許さず、つぼみは囲いの中でしか開花することを望まれない。新川和江による「わたしを束ねないで」を思わず想起してしまう。



鳥になる 谷村新司作詞・作曲 Fly Like a Bird


上記の演奏も、ブルジョワの一部がカルチャーセンターで紡ぎだす所産だと考える人がいるかもしれない。しかし私はこの鳥たちの花模様や切り抜かれた曲線に見入りつつ、思うところ多々があるのです。

 歌詞中の人はちょうど故郷を思い浮かべている。自分が馴染んだ世界、そこには当人が嫌いはねつけもしたであろう俗臭にみちたものをふくめ、慣れ親しんだ安住の地としてちょうど「わが家にある」かのような居心地のよさを味わえる世界があっただろう。ハイデガーは『芸術作品の根源』で「安心できるもの(geheuer)」と「安心できないもの(nicht geheuer)」ないし「途方もないもの/不気味なもの(un-geheuer)」という対概念によって、後者の衝撃が芸術作品に深い関わりをもつことを示した。

 夕闇が追ってくる。郷愁が彼女を覆い隠そうとする、世間への埋没を迫るあれこれが生活のあらゆる局面で立ち現れる。芸術制作ならそのときに「故郷」を断ち切れるかどうかが分岐点となる。


(ちなにみジブリの映画「耳をすませば」でも少女と文学創作を主題に「カントリーロード」の訳詩が歌われる。)

 もう一つ、触れておきたい点がある。自然から芸術へ。それはふつう自然から文明へ至る図式とされている。彼女は自然に親しみあたかも自然との調和や一体化を望んでいるかにみえる。しかし彼女は自然に埋没するのでなく、自己と世界を意識化し、世界と共に存るあり方(P.フレイレ)でもって、故郷を離れた新たな眼で自然が「生きている」ことを感じとる。そして自身が対象化した自然を抱きつつそれを超えて芸術創造の彼方へと飛翔する。

 伴侶の役目はその段階へ彼女を引き上げることであり、飛び立つ彼女を後押しすることではないだろうか。彼自身に痛みも伴うだろう。なぜならその愛は手離すこと(永久にではなく一時であれ)というかたちをとるからである。けれども進んで別離に耐えない愛は真実ではない。

 新たな眼をもち飛び立った彼女が再び故郷を見るとき、そこに映る伴侶の姿こそ真の安らぎを与えうるのかもしれません。

(女が道を究めるという主題を扱った作品には漫画なら『エースをねらえ!』『のだめカンタービレ』などがある。しかしそれら技芸の完成はあくまで男性の介在と導きによって成就される。そうでない道の究め方については別稿で記すことにする。)

時間を分け合うこと

転職して数ヶ月たつ。毎日新たな学びの連続で、作業内容もそのやり方も、前職とは全く異なる世界ながら、少しずつ自分と周りのことをズームアウトして見られる段階へきた、いわきびです。

数日前から仕事では新たな技術習得の訓練が始まった。それは机上で根を詰める作業で、この異業種ならではというか、恥ずかしながらそんな作業が存在すること自体、転職して初めて知った。で、やってみるともう自分の不器用さと、考えすぎてドツボにハマり前進できなくなる性格とをまざまざと突きつけられ、手と目と精神の働きを合致させるなんて相当な鍛錬の延長上にあるー、とこれまた言葉ではたやすく意味づけるいわきびである。


8月は慌ただしかった。外せない対外業務が多かったためでもある。ルーティンワークはしばし流れ、中断し、そちらを優先となった。そんな中、外向きの業務の準備・実施の過程で事業所のこと、関係者のさまざま、長く居る管理職や先輩たちや上司の来し方、事情を知ることとなった。

まあいわきびもいい歳だし、初めて働くわけでもないので世の中の綺麗事ではいかない部分も少しは知っている。が、いま身を置く世界があまりに自分の来し方と遠く、また不慣れなタスクも手伝って元来の不器用さはとりわけ際立って見えたのでしょう、たとえば上司などはその点をとくに心配してくれているようです。

夏休み終盤の、市民が憩う場はよく晴れて賑わっていた。私たちはかなり余裕をもって目的地に着き、準備を始め、業務はぶじ終えることができた。(あとから考えると私自身は無駄な振る舞いや戸惑いもあり、物の配置に関しては反省点もある。)そうして良い時間を残せたなあと清々しい気分で帰路についたはずなのに、上司は一人、内心憤りを抱えていたらしい。

この人はじつに色んな表情を持っていて、それまで就いた仕事が大きく影響しているのだろうが、荒っぽい業界も知っていて、それも手伝ってか時おり面も上げられないほど怖い時がある。で、いったい私は何をしたのだろう、ケアレスミスならこれまで何度も許してもらってきたが、と思いつつ聞いてみると、それは時間管理のことだった。

別に、その日の仕事でとくに誰が何を、というのでなく、私が入職するずっと以前からある、事業所全体の傾向に数えられる「惰性」の指摘である。要するに、時間に対する意識が甘くなるとそれらはお金の管理に少なからず反映される、自分はそれに危うさしか感じないー、そんな内容だった。

私は自分の来し方と今を振り返る。このブログの紹介には「人生の時間比率は自分仕様に!」とある。昨年、わが家は介護問題で大きく揺れた。当時の勤め先はダメな人員配置と人手・インフラ不足のせいで窮した業務をけっきょく担当外の者にまで残業を呼びかけて回し、他にもおかしな業務配分のせいで同世代に病休者を出した。そのはるか前、帰郷するまで所属していた学びの場も、本当はとうに進みたい道でないことに気づき転身をはかったがうまくいかず、奨学金と一部仕送り(親の労働の対価)で繋いで、その借金をいま返している。その専攻も、実務に置き換えると大半がケアワークである。

人が、自分以外の他者のために一方的な献身や犠牲を支払うことの痛みと損失はわきまえているつもりだ。しかし、介護も育児も教育も、ひとえに自分を振り捨てて相手の中へ身を投げ出し、たとえ不可解で矛盾した言動をとろうと相手を受け入れることを起点として、相手の目線に合わせ、その人のために自らの時間をー命を、労力をー割く行為という側面が大なり小なりある。そして、労働以外のあらゆる局面で人手不足が顕著になりつつある昨今、残念ながら個人が自分の時間を犠牲にすることで、この社会の善意がどうにか保たれている状況である。

他人の時間を奪うことのコストをどれだけの人間が自覚しているだろう。超勤前提の勤務や業務工程、要求水準だけが上がった家事や育児介護のケアワークを未払い労働として女性に押しつけること。それらに否を突きつけるなら、やはりどこかで戦略を立てて時間泥棒から自分を救わねばならない。抽象的な表現になるが、そのために必要なのは個人の自立であり、それを可能にする制度やインフラの実現である。ひとは、自己をかけがえのない大切な存在と思うなら他者も同様であり、他者の生存・存在の肯定から全てが始まるならたとえどんな状況だろうと一人の尊厳ある生が維持できるよう、条件を整えなくてはならない。社会保障はそれゆえ属性を問わず個人単位でなされるべきだ。

独学の難しさと不利益を知ったのは学校を出てからだった。何をするにも自腹で、自在にアクセスできる資源は限られている。それでもネットのおかげで情報を拾えることは時代の利点だろう。だが畑違いが本当に独力でとはならず、SNSや現実のコミュニティであれこれ質問して学び、これも、他人の時間を奪うことになるのだろうか?と気兼ねが先立つことも多かった。

しかし、何かと接点を持ったなら、そこには豊かな時間の共有もあるに違いない。一方的に奪い、与えるだけの交通でなく、双方向的な交通を。呼びかけ、応えるプロセスの拡張上に形成される新たな意味を。未知なる他者との相互作用から発見される自己の一面もある。ひとたび時間を意識化し、耳をすませるならば、自ら意図してそのようにしていくことが、十分可能だと思うのです。