いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

覚悟の決めどころ

祝福を。

来月の身の振りも未定ながら、考えは浮かぶに任せて引継をがんばったいわきびです。

こういう時は頭で考えすぎないことにしている。本当に変転のときは、状況と心境の変化に容赦はない。数時間、数十分単位で目まぐるしく変化する。たとえば職場なら事情を知っている同じ業務担当の者が自分の考えを私に話し、次にたまたま備品を取りに入った別室で違う世代の人が言うことに立ち止まらされたり、あれあの制度はこの理解でよかったのか?とか疑問が湧いたりして、洗面所に行けば同世代の人のしぐさにただ生きていることの貴重さと尊厳を思わされ、しかしこの自分と重なるものはないのだと長く地元を離れていたこの身に決定的な事実をあらためて確認したりする。

まあ、職場で起きることなんぞいまの私には動揺のタネにはならない。今から9年前、進路が行き詰まって一ヶ月だけ海外へ出たり資格取得の勉強を勧められながら周囲に反対され進退きわまるところへ同世代の友人が自殺した報せがとびこんできて彼女とその周囲をめぐる人間関係のおおもとに不信を抱き…の頃に比べたらまだ考える時間がある。


三択だと思っていた選択肢はどうやら二択のようだ。

一つは、地元で実家に住まい、クラウドやランサーズで在宅仕事&派遣労働でひたすら奨学金返済にはげむ半年〜1年間。

もう一つは、居候していいよと言ってくれている関西の友人宅へ寄宿し転職目的の職業訓練を受けて、できれば週20時間以内のバイトをする日々。

前者はお金を取り、後者は転身を重視した選択肢である。

今朝まであると思い込んでいた三つ目の選択肢とは、地元で一人暮らしすること。もし契約可能な部屋があれば、安い家賃で地元で自活し家族と別居して働き、勉強と執筆を続ける、というもの。

でもこれ、あくまでMAXうまくいっての話だわ。

別居したとしても市内に住めば家族と断絶するわけでもないし、介護問題で揺れに揺れた昨年のことを思えば下手な情が湧いて介護に関わって家族関係がベッタリになり、結果としてキャリアにブランクができることもあり得る。
また、一人暮らしは今の自分には費用がかさみ過ぎてとにかく固定費を払うことに必死になり、貯金はもちろん返済もおぼつかない中途半端なドツボにハマるおそれがある。 もし思うこうに仕事が来ない、続かない、そして健康を害したときー、困るし、何を優先したいのかわからない途である。だいいち風呂の栓を抜いたままお湯を注ぐようなもので、部屋の契約と一ヶ月生活は可能でも今の自分にはあまり現実的な選択ではないみたい。

家庭の危機は誰にも訪れる。そんな時、「皆が働いていれば何とかなる」と同僚は言ってくれる。至言だと思う。しかしそれは、家族のメンバーが働くことメインの生活を送り、当人もそうしようという意思がある場合に限られる。メンバーの一人に家庭を支える意思がなく、家族とできれば距離を置きたいと考えているときには、正当とは言えない途かもしれない。

今は一週間の疲れと職業のしんどさがこたえてくつろいでいる。来週末には決めるだろう。ここが私的な心情吐露の場となっても、同じように自分の先行きを模索中の人がーまたそれを乗り越えた人がー読んでくれて、ともに奮闘できればと思ってしたためるいわきびなのでした。



「ふつう」を問うことと奪回すること

祝福を。

卒業シーズンである。引越しラッシュも始まる。人が移動する。…で、いわきびはこの数日何かへの決断を控えている。

もうこのブログを読んで下さってる方にはもうちょっとポジティブな話題はないの?とあきれられそうなのを承知で自分の状況を記してるのだが、事実なのです、ぜんぶ。

職場は最終日まであと数日となった。となると、出勤が嫌で嫌でたまらない。あとわずかなんだから集中しろよと言われればそうなのだが、辞めると決意してからの数ヶ月をとことんムダにしたような気がして、3月までガマンしたメリットというのが今回殆どない形での退職となってしまい、働かざるを得ないから4月頭から地元で働くという選択がほとほと納得がゆかない。

自分の所属とは違う部署の座席で引継書を作っていると、周囲の会話が耳に入ってくる。同じ非正規のある方はいわきびとおそらく同年代で、夫と子どもが居り、おかずの好みがそれぞれ異なっていて悩ましいという平和な話題をとばす。私の部署は非正規と言えどそれぞれ仕事を抱えて馬車馬のように働いているというのに、こちらではーおそらく上が不在の時は決裁等が進まないからでしょうー期せずして手が空いたらしく、そんなことを話している。そしてどういう成り行きかは不明だが、いま病休等で欠員が出ているため皆の負担が大変だ、この状態で誰か倒れたら…何か変わるだろうか?上も状況を理解するだろうか?となにをいまさら的な方向へ話が行く。

いわきびが座っているのはその欠員者の席である。正社員になったらこの帰結が待っている、と直観して先日応募をやめた。心身を壊しては後が大変だ。すでに病気を抱えた人を否定する気はまったくないが、避ける手があるなら避けたい。とはいえ、正社員の人が何かにしがみつく気持ちも痛いほど、わかる。

地方では「ふつう」ー標準、常識、世間並み、人並みとも言い換えられるーの範囲が非常に狭い。そしてその常識も歴史的にかなり特殊な戦後の高度経済成長期にのみ通用するモデルにすぎないにもかかわらず、人々はこれを「ふつう」と思い込んで他の価値観を探る余白を入れない。この「ふつう」とは、新卒で正社員入社し、適齢期に法律婚して血の繋がった子どもをもうけ、ローンで家を買い、定年まで同じ職場で働く、というていどのものだ。

たぶん、いわきびの同世代はもうこの価値観には大した値打ちがないこと、実現の可能性も低いこと、そして実現したところで親の世代ほどの幸せも得られないことに、すでに気づいているはずだ。しかし、世間や社会や近所や親・親戚等の目はいまだこの「ふつう」に曇らされている。「ふつう」以上と未満では彼らの見る目と待遇が全然違うことも知っている。

承認欲求と言えばそうだし、それを仕事に求めなければよい、と言うのも正論でそれだけのことだけど。

周囲から曲がりなりにも一人前とカウントされ、見えないながら確実に存在する世間の規定路線に乗ることで得られる生きやすさを味わい、既存の枠組みの中で他愛もない話題にうち興じ、そういう日々をわずかな期間でよいから送ってみたい。いわきびだけかもしれないが、そういう気持ちは多くの人のどこかに存在し、それが、どんな凄惨な出来事の中でも日常を維持し日常に均したがる心性の正体なのかもしれない。

こんな状況でも職場に残る人たちは、来月のお花見を兼ねた食事会に行くか行かないかのやりとりを楽しんでいる。過労で伏した人のことを考えろよ。もう去って行くいわきびは胸中でそうつぶやく。

外の世界にいまだ強固な世間並みという意味の「ふつう」「あたりまえ」を問い直すこと、人としての尊厳という意味のそれらを取り返すこと。私の同世代およびそれ以下の世代には、それらを同時に進めながら生きていく時代なのだなあと思ういわきびでした。

正社員応募をやめる、&地元ほかの選択肢

祝福を。
選択肢の無さに今更ながら失望中のいわきびです。

今日は数日前問い合わせたシェアハウスから返信が来た。が、もう明らかに日本語を十分に操れない外国人からで、メールの中身は問いへの答えもなく、そもそも窓口にちゃんと話のできる人員を置いていないもようで、これはダメだ、と判った。
ま、入れたところで生活費が苦しいことに変わりはなく、そもそも今から引越し準備だ何だとやっても4月頭に転居は不可能だ。シェアハウスなら初期費用は安く済むかと思ったのだが、もう賃貸契約と家賃が払えてもその後の生活が困難な資金しか今手元にないのだから、「ふつうの」県外転居は少なくとも4月には無理とみた方がよい。

残るは地元で働くか職業訓練、もしくは県外で居候して職業訓練だ。
って後者だとその間収入は雇用保険とやれたらバイトだが、それをするならやっぱり今の土地へ残って中級以上のOAスキルを職業訓練か、登録した派遣会社でオンライン受講できる講座で学びつつ、小金を貯めて返済、が着実だろうなと思う。

結局今のスキルのまま都会へ出ても単なる出稼ぎにしかならず、食うや食わずで半年〜1年経って資金繰りが難しければ立ち往生とあいなるのだろうか。

で、しぶとく自分に問うてみる。

旅費がまかなえて、自分の都合で休みがとれて、家族と別居すること。この三つがそろえば、地元で活動することは可能だ。働くにしても自分の学びや発信を続けるにしても、「正統な所属」にこだわらず、むしろ自分でポジションを作っていく企図さえあれば、今の土地でも望む道が拓けるのではないか?

もちろん奨学金の完済も年内(長くても来年6月まで)にはする予定なのでその分稼ぐ必要がある。だが地元の賃金は低い。また、地元の人口規模からして、匿名で居られる気安さの味わえる場所は本当に限られているので、煮詰まり対策も必須だ。

そんな中、自分なりに一歩進めたことがある。昨夜、正社員転職サイトからのメール配信を停止した。登録はしてあるから、求人を探して応募することはできるけれど、毎日メールを開けばオススメや新着求人紹介が沢山来ていてそれらをスクロールするだけで時間を取られる、ということはなくなった。

正社員は、もはや安定でも勝ち組でもない。職場で、病休者の空いた座席を見るにつけ、本当はわかっていてもなかなかキッパリあきらめることもできなかった正社員応募をもうやめることにした。年齢やスキルのこと以上に、ライフワークと生計労働をキッパリ分けるつもりなら、こんな求人に応募してる場合ではないのだ。

転職と転居に向けて、秋から動き、調べ、いまこんな状況になるとは思ってなかった。でもこんなことを言うのはアレだが、今の職場の退職が決まってほんとに良かったと思う。一緒に働いた人たちは個別には皆良い人で、特別お世話になった方たちにはもっと笑顔で接したら良かったのだろうが、やっぱり自分にウソをつき続けることはできない。今できることは引き継ぎと、シュレッダーと、最終日の挨拶とお菓子を何にするか考えること。

ともすれば悔しさが、涙が、不安が押し寄せてきそうな毎日だが、生き残ったのはきっと人生を楽しむためだと思うので、あの帰郷した日ーしまなみ海道で歩いたり、水を飲んだり写真を撮ったりめいめい楽しんでいたランナーたちーを思い浮かべながら、そろそろ帰宅するか、と腰を上げるいわきびなのでした。

今、できること

祝福を。

日々ジェットコースターのように心境が変化しつつ何とか生きてるいわきびです。

今のところ可能性大な選択肢としては、

1.地元で派遣労働&クラウドワークスで書く

2.地元で5月から職業訓練を受講

3.県外に寄宿して職業訓練を受講

かな。

何をするか、どこに住むか、どう収入を得るか、を時期ごとに変えてかまわないからそれぞれ決めていく。

お金の問題は今回大きくて、抱えている返済残額が手に負える線まで行ったこと、家賃の一時払い制度に回せる貯金があれば返済に回した方が確実に問題解決が進むこと、等々。手元資金を減らしすぎた自分の責任とはいえ、それにしても四国から島外への旅費の重さ、時給で働く給料の不安定さはかなりこたえた。

その土地の賃金水準に縛られない稼ぎ方ができたらよい!と痛切に思う。当たり前だが、最低賃金は県によってちがう。個別に給料が良い、ホワイトな事業所はあっても、基本その地で稼働するからにはその地の経済に組み込まれて、回せる金額の規模も提供するサービスも決まってしまう。経済規模の小さな街に居ても、大きな動きやまとまった金作りができない状態から抜け出すためにみんな都会へ出てくるのだ。

ももし、その地の最賃や経済水準に縛られない働き方稼ぎ方ができたらどうだろう。好きな土地に住めるし、生活コストの配分をある程度個人の自由にできる。自分仕様の生活と、時間比率の実現に一歩近づける。

だいたい日本企業はヒトの生き方を強固に制限しすぎた。ローンで住宅を買わせて金の使い方を縛り、副業を禁止して金の稼ぎ方も制限する。経済成長を前提に、日本型経営が健在で、企業内福利厚生が福祉機能を代替してこれた時代はまだそれも利益があったんだろうが、福利厚生が吹き飛んだ今、日本型雇用慣行の弊害はきちんと意識しておくのがよい。

さて。とはいえ一見自分で時間やお金の采配をしにくい立場の人々ーたとえば地方在住の非正規・未婚・実家住まいの女性ーをいわきびは決して否定しない。これについてはまた他日。

みなさま良い半日を。

優先順位は?

祝福を。

ほんとうに、すべての生きる人に祝福あれかしと思う。

詰みかけの職場に行っては剣の立った自分の顔にため息、地元の交通便の悪さに苛立ち、どう接してよいかわからない地元(実家があり、穏やかで豊かな自然と田園と暮らしの匂いがある)の人々との付き合いに途方に暮れ、まだ配信停止はしていない転職サイトやエージェントからくる求人案内に応募クリックし、派遣会社からの案内に返信のしように困り、給料が出ても返済と引越&部屋契約費分を差し引くと残高を見て背筋が涼しくなる。

もう、何が最優先だかわからない。退職は決まった。が、雇用保険はいつから受給か不明、次の働き口も未定、住まいは普通に賃貸を借りるのが難しい資金状況。移住を6月以降に延ばしてゆっくり地元で学び金のためだけに働く手もあるが、その間地元に住むのも嫌だ。実家が嫌なら地元で安い部屋を、とも思ったが本当は地元も出たい。だが…という堂々めぐりなのでもう書かない。


地元で職業訓練を受けるにも直近の開講は5月から。4月は働かなくては、しかし、今はゆっくり眠りたい。できれば地元か実家以外の場所で。路上はちょっと困るな。

何より悔しいのは、地元しか知らない人と同じ扱いを受けることだ。待遇がどうこうという意味ではなく、いっぺんも地元から出たことがなく、たまたま今に至る人と同じ立場のように見られ語られるが、ちがう。私はここよりマシな都市で、少しマシな給料で、もっと寒い土地で自活していた。震災も経験したが、その手のことは喋ると嘘くさく空回りするので控える。ここしか知らない人ならここ特有の不便さに気づかないが、コスパ、インフラ、スケールメリットの利は案外北国で実現可能であり、なまじ温暖で恵まれた地ではインフラがボロボロのまま、ということがあるのだとこの数ヶ月で気づいてきた。

旅費はある。何とか。なので、煮詰まって詰むリスクを避けるために、海を渡るかもしれない。

何だか追い詰められた人のようだが、いやその通りなのだが、もうここは「こんな状況の自分もいます!」というアピールと、書けば誰かが見てくれるだろうという望みのための発信の場になっている。

だから、閉店にはしないぞ!明るみを求めて!
いわきびの望みはあくまで地元と家族から離れた一人暮らしと、勉強と執筆に専念できる時空間だったが、他人がそれ以外のことを優先するのは全くかまわない。人生の時間比率は自分で決められるもの。そう信じて奮闘する方たちと、これからも繋がりたいのです。

退職事由、雇用保険、国保、年金

祝福を。
昨日、役所とハローワークで説明を聞いたいわきびです。

わかったこと。

退職事由の件。

たとえ1年ごとの契約更新でも、直雇用の非正規社員で3年以上契約を更新し続けて勤めた人が、会社から更新を提案されて断ったばあい、雇用期間満了まで勤めても自己都合退職になるらしい。3年以上契約更新を続けて同じ事業所に勤めることを「雇用の常態化」として、いわば期間の定めがない正社員と同じような扱いとみなす考えからくるもので、それを自分から断ると自己都合退職になるという。

で、いわきびは今回それが3年未満なので「自己都合」にはならないはず、というのがハロワ担当者の説明だ。

ホントだろうか?もしそうなら3ヶ月の待機期間はナシで、少しホッとする気持ちもあるが、だったら3年以上勤めた人には理不尽な話である。

同じ会社に定年まで勤めたって、非正規はどこまでも非正規で、正社員と同じ待遇は決しては得られない。少なくともウチの会社はそうだ。じっさいには正社員並みの仕事量と責任を課されて給料はその半分ていど、の非正規社員が世の中大半ではないか。

窓口では今回もらえる雇用保険の受給額も試算してもらった。源泉票の写しを出したのだが、ほんとは雇用契約書を見せるとより正確な推定ができると言う。

はじき出された金額は、予想どおり少額であった。でも雇用保険受給額は、退職する直前半年間の収入で決まるため、10月〜3月の祝日と年末年始はさんだ日数と、時給制であることを考えれば、まあとうぜんのことである。

3ヶ月待機期間があってもその間は働き放題だし、この受給額をアテにするつもりはない。なら、なぜ悔しがるか、以下。

第一に、固定費をここから支払う想定が不可となったから。無理やり転居して、家賃や国保などをギリギリそこから捻出、が無理である。

第二に、退職を決めたのが実は11月くらいからで、そこから5ヶ月ガマンしたのは何やったんや!!という気持ち。どうせ自己都合で3ヶ月の待機、かつ雀の涙の金額なら、嫌だと思った時点で辞めてた方が、嫌な思いを数ヶ月経験せずにすんだだけマシである。

第三に、自分が田舎の情報弱者の烙印を押された気分になったから。この5ヶ月間、色々調べて転職・派遣会社に登録し、応募し、旅費を使い、シェアハウスや、保証人不要の賃貸も調べて選択肢を検討し、でもだめで、そこへ自分の現状把握においてそもそもの前提が狂うような情報が入ってきた。実質は失保の受給が数ヶ月ズレるだけで、職業訓練も申込OKだし、仕事が決まればそれでよいし、動揺することではないのかもしれないが、いわきびは疲れた。地方で貧困に陥るって、こういうことなのか、と。

この退職事由で変わるのが国保の金額。これも役所で試算してもらい、メモ。年金は免除申請可能。離職票があれば、収入なしと見なされふつうに免除できるという。

現段階で解っているのはここまで。

確実に出て行くお金と、入るお金をせめて把握しておく。とはいえ、状況も心境も情報も、明日や来週の予測がつかないのは、案外楽しいことかもしれません。

善は自ら拡がりゆく

祝福を。

転職移住作戦の旗色は以前良くなくて、今日は雇用保険受給に3ヶ月待機期間が入ることが判明した。別に年度途中や契約途中で突然辞めたわけではないのだが、会社側が契約更新を提案したのに対してこちらがそれを断った、というケースは自己都合退職になる。

ここ数日書いているように、生活保護以下の給料なので雇用保険は受給できてもアテになる金額ではない。せいぜい国保などをまかなうのにあてる位で、それで食いつなぐなんてのはもともと無理な話だ。それが、3ヶ月の待機。働けばよい、次の仕事が見つかっていれば問題ないことではあるが、もうとことん上からもらうものや、すでに在る制度や場には何の期待もできない状況が明らかになりつつある。

で、何の話だっけ?

そうだ、本当に善いものは、すでに自足していて満たされていて、自らの内にとどめておくことができずに溢れ出す、というメタファーを思い描いていた。それは、太陽の光や泉の水に喩えられてきた。神によって創造された世界は、全能かつ至善の神がその善性を分け与えられたがゆえに、善い。ここにあるすべては神の被造物であり、その存在は神から与えられたために、善い。かくて自分と自分をとりまく世界への肯定が成る。

その肯定は神にしか根拠をもたず、外在的な目的や条件に規定されない。人間の側からみて、無条件と言えるだろう。何かの既有の枠組み、物理的制約、条件、因果関係に該当しないいのちの姿を説明することは人間の言葉では不可能で、近世まで神という概念が必要とされた理由は実は世界を説明するため以上に、いのちの真実なあり方を記述するためだった側面があると思う。

神の言葉によってのみ言語とそれが指示するものとの一致をみる、その自由な世界は、機能不全などあり得ない。だが心を砕き、言葉を尽くし、誠意を傾けてなした行為が空転することは、現代の人間の現実ではザラである。

それが解っているから人は、書くことや描くこと、撮ることなどをとおして異なる現実を創り出そうとする。すべてがまにまにありながら秩序をもち、目的に合致し、滞りなく狂いもなく機能する世界。SNSによる発信には、そうした世界への渇望も見てとれる。

無条件かつ根拠を問わない、存在の肯定と信頼へ向けて。自ら溢れ、拡散するという善の性質に連なるように、みんなネット上で言葉をつぶやき、同じ価値観を持つ誰かをつながり、今いる現実とは別の現実を創り出そうとしているのかもしれない。

そう考えると、金や労働や制度のことでの格闘は自分にとって何か意味あるのだろうか。いっそ無職の時間を利用して上記関係のことを考え続けたくとも、今の住まいを変えないと時間の使い方を自分仕様にできないので、さてどうするか。もう出勤はするだけムダなので、有給の振り替えを使い最終出勤日までに引継ぎを終えよう。職業訓練も、求職者支援訓練と公共職業訓練のちがいにこだわる必要はいまや無いのでしたければ申込だけ願いでよう。

この二週間ほど書類作成と試験旅行であまり寝てないので、できれば地元を離れて旅先の宿で早くからゆっくり寝たい。そのための旅費は、ある。締めの言葉が見つからないのだが、読んで下さった皆さん、よく生きて下さい。