いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

さよならの前に

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祝福を。今日、退職と転居の予定を家族に伝えたいわきびです。折に触れてそうしたい旨はつぶやいてきたけれど、面と向かって報告するのは今日が初めて。
思ったよりあっさり淡々と受けとめておりました。たぶん、今の両親には子どもより親のことが優先だからかもしれない。毎週それぞれの実家だの病院だのに介護へ通う親にしてみれば、とりあえず自分で動ける子どもの体裁など目を向ける余裕がないのが実際だろう。

3年前の今頃、地元で一人暮らしをしようとして両親の猛反対にあった。二人にとって私の帰郷じたい不可解であり、奨学金返済残額も今よりずっと高額で、またここで何度も書いているようにびっくりするような時給の非正規雇用だったので、無茶なことに思えたのだろう。こっちでは保証人なしで借りられる物件は見当たらず、保証人になってくれるという友人を頼るのも借りだけつくるような気がして断念した。

そこからは、煮詰まりと停滞との闘いだった。震災後抱いた夢のための貯金も返済にあて、イチから貯め直すことに。貯金を手放してみれば、こんな貧困な雇用に留まる理由はかえってないことに気がついた。良い仕事が決まったら、などと考えていると1〜2年がすぐ過ぎていく。しかも、フルタイム労働、家族同居だと時間の使い方に制約ができるため、何かをしても「消費」に留まってしまう。それが嫌で、昨秋からジタバタを開始した。

そんなわけで、資金面の不安は在るものの前へ進んでいくことにしました。ここでもちょいちょい報告するので、気長に見守ってやって下さいね。写真は街中のミモザ。実際のこの周囲には、ビオラ水仙など春の花が溢れています。

自分の手から職務を振り返る

祝福を。
毎日少しずつ清算を果たして、前へ進んでるつもりのいわきびです。
今日は職場の倉庫を整理した。担当業務の古い書類を荷造りまたは廃棄して、できる限り保管庫を空けておかなくてはならない。夕方デスクワークがひと段落したので倉庫へ入り段ボールを組み立てる。もともと手仕事は苦手なほうだが、一日仕事をした後なのと、これまでここの仕事で手首を酷使したせいで、手の動きはぎこちない。箱詰めを終えてテープをかけた指には血が滲んでいる。毎年気温が一定数下がるとできる、ひび割れが血を吹いたのだ。あわてて口で湿しティッシュをあてて手洗いへ。いつもならなかなか止まらない出血が、幸い洗ったあと止まってくれた。

今の仕事は事務職で、しかも入職時から任されたのは殆どが手作業だった。月1万6千枚位の書類を受け付け、数え、分け、番号をふる。月ごとの〆切があり、その前後は山場で人手も必要となる。だがもっともタイトなスケジュールとなるのは番号をふるすぐ前の段階である。他の業務そっちのけで1万6千枚ほどを数日でさばくのだ。
当然、手に負担はかかる。鍼治療も受けたが仕事のダメージのほうが大きくて、一昨年の秋あたりから手指にしびれを感じ出し、徐々に動きが鈍くなっていった。

それでもパソコンを使う仕事なら問題なくできる。が、今の仕事のメインはどうしてもこの手作業であり、しかも端末は行き渡っているわけではないのでアナログ業務の合間にあちこちの部署で空いているそれを借りてどうにか仕事をしている。

こんなありようが、続けられるわけはない。職場にいる間、自分の段取りでできることは一つもない。これが工場のラインとかならまだしも、それぞれに座席のあるデスクワークだからたまらない。その上、大量の書類をさばけるようにと機械まで導入され、とはいえ仕分けは人がするため今度はこの機械に張り付く数日間というのができてしまった。
周りは曲がりなりにも21世紀の労働者をやっているのに、あたかも自分だけ19世紀にとり残されている気持ちになる。

さてそんなことを振り返っても生産的なことはあまりない。私がいまやっているのは仕事と住まい探し、仕事の引継ぎ、職業訓練も視野に入れてるので応募結果の日程と照らし合わせて申込検討。
何にせよ、今の地元生活は自分にメリットがない。収入が少なすぎるため大きな動きはできず、どこへ行くにも交通費がかかり、お金を貯めるには行動を制限するしかない。就活、集まりへの参加、奨学金の繰上げ返済、これらが集中しただけでもうギョッとする残高になる。
でも、守りの姿勢はとらない。動いて進んでいれば妙案も浮かぶだろう。今月初め、旅先で聞いた知人の急死を思い出す。たしか自分と五つも年齢の違わない人だった。恥も気まずさも生きている間のことにすぎない。

だから、現状維持をやめることにした。いわきびは明るみへ出るために、試行錯誤を続けよう。皆さまもどうか良い歩みを。

思うまにまに

祝福を。
昨夜日付けの変わる前には帰宅し、そのまま布団へバタンキュのいわきびです。
関西へせっかく行ったのだから、一泊してお友だちを呼び出してもよかったなど身勝手なことを考えつつ、それでも疲労のことを考えると帰って正解だったかと思います。

帰郷して、トラムも終わった夜の街をほてほて歩いて帰る。土曜の夜は人が大勢出張っていて、飲食店で談笑する姿がガラス越しに見える。たぶん、仲間内の集まりでしょう。そして、店主らしき人ともお馴染みなのでしょう。アットホームで心地よさそうに見えるその雰囲気は、いわきびにはもう窮屈に思える。
向こうでバスに乗る1時間ほど前、駅近の居酒屋で一杯やった。生中1杯190円という信じられない値段で、食事やその他の酒は普通の値段だがそれでも安い。店員は素早く席を案内し一人客も複数連れもうまく配置して店内に収めていく。注文も速く、つかず離れずの対応がいい。そして客はというと、これも思い思いのポーズやスタイルで呑みかつ喋る。通りに面したテーブル席で男性たちと冗談をとばしながらジョッキを傾けるスーツ姿の女性。学生時代のような気安さで2人がけの丸テーブルを囲むラフな若い男性客。カップルもいる。おばさんもいる。奥の6人がけ席では仕事仲間とおぼしきオッサンたちが肴をつついてのんびり話し合う。

昔、進路が行き詰まって手探りで始めた就活の一環で訪れた大阪のカフェもこうだった。身振りを交えて仲間と笑い合う女性客、本を片手に自分の世界に浸る人、日常の幕間に入ったそのカフェでけっこう深刻な家庭の事情を話す人。大げさな表現だが、人間ってこんなにも自由だったんだ!と思い知らされる一景の数々を経験した。

皆が好きに振舞っているように見えて、そこそこ場が機能し空気が淀まないのは、知らない人との距離のとり方がうまく、言葉や所作を他人との潤滑油とする文化だからだと思う。これは東京ではなかなか望めず、東北の気質では難しく、今の地元でもちょっとない雰囲気なので文化の地域差というのはどんなに均質化が進んだようにみえる時代でもそう簡単には消えないことを知らされる。

この記事は、自室のヒーターの前に立膝をつき、スマホで書いている。手元には本が2冊あって、どちらも平日細切れの時間では読むのが難しいにもかかわらず、この家にいると気が散ってなかなか進まないのだった。階下では、親の介護から戻った父が何やら夕食を拵える音がする。台所が空くのを待って、いわきびも料理をしよう。明日はまだ仕事である。
私が今の勤めや住む場所を放棄したい一番の理由は、自分の暮らす段取りを自分の主導権に取り戻したいからだ。旅先のカフェ居酒屋だけでなく、本当は全ての人がそれぞれの持ち場で、その人の思うまにまに生きてゆけるはずだ、という思いを根底に抱くいわきびなのでした。

人生の軌道のたとえ

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高速道路と列車、高速ビルの夜景がバスの窓からうねるように迫ってくる。朝早く四国を発ち、関西で就職試験を受けて今はその帰り。夕方に試験は終わって駅前で一杯やって、ターミナルの場所を間違えながらやっとたどり着いて乗車。
エスカレーター右側にびっしり並んだ人を脇目に左側を慌ててすり抜ける。目線を上げて天井に下がる案内表示を追いながら人の流れに滑りこむ。大都市では当たり前の動線も、久々に田舎から出てきた私には新鮮だ。結果はどうあれやって来て良かった。家に着くまでが遠足だから、あまり気を抜くのはよくないが。

こうして高速バスに揺られていると、遠距離恋愛をしていた十年前を思い出す。いわきびは東北に、相手は中部に住んでいて、東京で会うことが多かったが、その他の地でも都合が合えば出向いていた。旅先で会って別れる交際はしかし、時間と体力と金銭面の疲弊がかさむにつれ負担が増していった。会うのは良いが、その後どうするという見通しが立たなければ、結局徒労感が募るものだ。互いに異なる時間が流れる場所を選んで生活していれば自ずと生きているリズムも見ている風景も違う。そして自分の進む方角が、相手の歩むそれともう交わらないだろうと思ったとき、つきあいを続ける理由はなくなる。

朝、本州へ入る橋の景色を見ながらかつて世話になり尊敬もしている人たちのことを想起した。その方たちは同世代だったり所属を同じくしたり一時期そこそこの接点をもちながらも、今ではつきあい自体が解消したと言ってよい人たちだった。突然、この世から居なくなった方もいる。集まりで再び会ったにもかかわらず、声をかけそびれ先方は無視、という関わりもある。その時は身の置き所が定まらない自分の立場を口惜しくも思ったが、今ではそれでよい、と思う。

なぜなら、どんな人との関わりもたまたま人生の軌道を重ねる機会があったにすぎないからです。自分でその終着点が見通せなくとも、最期から見渡せば線グラフが無二の放物線を描いて交差するように、また異なる目的地を目指す人が同じ汽車で一定区間に車両を共にするように、人生の一時期を同じ場所や関心のもとに過ごしただけのこと。偶然の産物であるけれど、それもまたかけがえのないひと時でしょう。

一期一会といえばそれまでだが、そう割り切るまでにあまりに特別な意味や期待を込めて重ねて、私たちは現実を理解し自分の軌道を築こうとする。旅先の車窓からは山麓に多くの住宅街、また異国情緒ある建物が並び、各々が自分の世界像を持って生きているのだと思うと、いくら世俗が鬱陶しくても投げやりな感情は持つまいとも思う。22年前、ここもまた既有の日常を砕かれたのだ。

誰を愛そうと何に意味を見出そうと自由である。でも誰かの価値観や状況を、自分の幸福の条件に重ねてはいけない。孤独な作業ではあっても、個人がめいめいで生存の技法を紡ぎだすことで拓かれる活路を、その無比のフォルムを、私は古くて新しい論点としてずっと追っていきたい。

流れがあること


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祝福を。毎日新たな生活に向けてじたばた奮闘中のいわきびです。

今日は午後から街へ。まず昼食をと、いわゆるオフィス街の裏手に外観の小洒落た定食屋があったので入ってみた。中身はこの辺の働く人を相手にした食堂でした。初めてで勝手がわからずキョロキョロするいわきびの視界には煙草をふかしながら同僚の下馬評に興じる男性客が。丼やカレーメニューの札がかかったカウンターの両脇にサラダや漬物の小鉢、魚の切身の皿、オートブル寄せ集めのワンプレートがあって、ああここから御菜を取っておカネを払うのかと理解した。
数分後。いわきびは窓際のカウンター席でご飯と肉じゃがの小鉢をつつきました。味噌汁も欲しかったがレジ番の人が間髪入れず会計を言い渡したので迷う暇がなかった。数席先の男性客はワンプレートランチをガラケー片手に瞬く間に平らげ、すぐ後ろの席では背広姿のおとなしそうなおじさんが慣れたしぐさでご飯、味噌汁、サラダ、卵焼きを順序よく口へ運ぶ。奥の四人がけテーブルでは別のおじさんが新聞を広げている。
昔からある店なのだろうか。その付近じたいが古くからある個人商店が残る界隈なので、この区画は昔からある、この街本来の時間と雰囲気をたたえているのだ。この食堂を出てその道が駅前に面する角に立つと、じつはベストアングルでお城が見える。写真はまた
上手く撮れた時に。柳は芽ぶきを控え、堀の周囲は桜がわずかにほころんでいる。

駅で高速バスの切符を買い、その足で職探しに。万一地元を出遅れた時の保険にこちらの求人もチェックしておく必要がある。

が、その賃金というのがやっぱりこっちだと安い。都会で働いてる人が聞いたら吹き出すか何かするだろう。で、もっと笑えるのがそんな仕事でも、今の職場より時給が良いこと(笑)。

建物を出て駅裏を歩く。狭い路地に踏切と駐輪場やこれも古いアパートや商店が並ぶ。墓地の巡りを水路が走り、それに面した民家の庭は苔の中に紅白の梅を数本抱く。この勢いよい流れがあるから、付近はよどまない。かろうじて走る水路はほとりの青草や畑を生かす。

思えば地元で煮詰まりやすいのは、そこが妙に自己完結しているからではなかろうか。コンパクトで、半径何キロの世界に一通りのモノが揃い、ゆったり過ぎる時間と変わらない生活リズム、変化しなくても生きられる温さと保守性がある。
そういう所で、場の一部に溶けることを拒んで切り裂く流れをいつも作ること。それはどこに住んでもきっと、自分という置き換えのきかない存在として生きていく姿勢を持つなら、自然と形成される何かなのでしょう。世界への埋没でなく、世界と共に在るために。

写真は街中にある病院前の桜。ここは毎年2月に花を咲かせることで有名です。いま、新たな職や所属を探す全ての方々へ「桜咲く」が訪れますように。

世界を汲み上げ、自分の明るみへ

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祝福を。会社とさよならを決めて、ようやく周囲にも伝え始めたいわきびです。

今の課題は振り返らないこと。新しい仕事のために応募&結果待ち、部屋探しのあたりをつけ、かつ家族に告げるタイミングを狙う。
今の自分ほど優先順位をどうするかで選択肢が違ってくる立場もそうないだろうと思う。ハッキリしているのは、どこでどんな働き方を選ぼうと、生活のイニシアを取り返すこと、人生の手綱を奪還すること、ゆるやかな自活に少しずつ自分で生み出した利益や価値を加えていくこと、主体性の回復、が最優先ということ。

写真は週末に山道で撮ったホトケノザアメリカフウロ。伊予路の山辺は椿も開き、水路は光り、だんだん賑やかになりつつある。河原に立っても山際を歩いても、この土地が与えてくれる恵みに与し、則って暮らせば何も不都合はないのかもしれない。
しかし、ブログを始めて実感することは、みんな色んな形で「世界を読みとり歴史をつづる権利」を行使して、記事を書き、写真を載せ、動画を撮り、絵を描き、コメントし、せっせとこの世界との絆を作ろうとしている。パウロフレイレが言ったように「世界に埋没する」のではなく「世界と共にある」生き方のために。
かつては新聞・雑誌の意見欄、文通、ガリ版刷り、ミニコミ、同人誌くらいしかなかった個人の発信と意思表明の場が、ソーシャルメディアの普及でグッと手軽になった。そ時代のそういう側面だけは、生きていて感謝なことだとしみじみ思ういわきびなのです。

私の延長上としての〈場〉とは

同僚が素晴らしい勢いで電話をさばいている。今日の職場は人数が少なくて、でも電話は相変わらず多いので、取れる人はどんどん取って答えるなり繋ぐなりしないと回らない。 黒光りするPC画面の端に目をやると、ちょうど背中合わせなので、これまた凄いスピードで電卓を打つ彼女の姿が目に入る。とにかく集中力とコミュ力が優れていて、同じ非正規の身分ながら部署内の仕事の殆どはこなせると思われる人材だ。

正規雇用者も管理職も、この人が居なくなったら大変なことになる、と無意識に理解しているに違いない。彼女自身もその自負はたぶんあって、そのことが全く嫌味でないくらい純粋に今の仕事に情熱を捧げている。私もこの人から業務の殆どを教わった。で、いま私はこの人たちから離れようとしている。

彼女の机周り、のみならず他の方の机上や机下はめいめいの個性そのものである。作業をしやすいように、余計なものを置かないのは勿論だが、引き出しの陰に百均のフックを付けて手提げ袋を吊るす人、足下のキャビネットに書類を押し込んで放置の人、引き出しの大きいスペースに自分のミニバッグを置いてその中に私物を詰める人、自費で買ったマウスパッドを設置する人もいれば反古紙で作ったメモ帳をパッドにする人もいる。ペン立ての置き位置さえその人の動線を形づくる大切な要素だ。皆自分が使いやすいように様々な工夫を凝らして自分の居場所を主張するー、とまで言うのは大げさだが、机周りの物の配置がその人のフォルムであるのは事実だろう。

そうして洗練されていった〈場〉には、あたかもその人の身体の延長上とでも言うべき特有の安心感や親しみが湧く。自分自身の眼や手や精神の延長、自分の世界の拡張ー、これは大げさではなく、賃労働以外の場、たとえば家庭の台所でも同じ感情が湧くのではないだろうか。その場はその人にとってかけがえのない居場所となり、やがて自分との一体感を覚えてますますその場と自分を重ねていく。例の彼女を好例に、キツイ仕事を頑張れる情熱はこの辺から溢れてくるのだろうか。

いわきびは、職場でそういう場がなかった。もとから作ろうとも欲しいとも思ってなかった節はあるのだが、これだけ「ない」現実を突きつけられると惨めでまた悔しくもなる。

なぜって、3.11をくぐり抜けてきた人ならわかるでしょう?生き残った命をぞんざいに扱うのはばかげているし時間の無駄だ。働くのはお金のため。そう割り切って多くの人が今日も職場へ出かけるけれど、そこで稼ぐお金に(金額の少なさに加えてその額の知らされ方など)価値がない、と思う出来事があったら、もはや出勤するだけ時間のムダな気がする。

どうせ非正規で部品扱いなら自由に泳がせてくれるかというと、そうでもないところが面倒くさい。さきのフルスピード電卓・電話の彼女を筆頭に、お昼ごはんを皆で食べる習慣があるのです。これが、有難い感謝しなければ尊い場のはずだとか頭で言い聞かせても、いわきびには煩わしい時がある。休憩時くらい自分の時間を許してくれ。家族住まいで一人の時間が、ものを読み書きするには孤独の時間ぎ必要なことを、この人たちの価値観では理解できないようだ。で、そんなこんなで行き着くとこまで気持ちが行って今に至る。

たとえば端末画面の高さや傾きをその人の目線に合わせるように、仕事をする空間では、どれほど通るかはともかく、自分の裁量や主導権、段取りの余地が必須となる。保育や介護、教育、営業、接客など相手ありきの対人業務でさえ、円滑に仕事を回すには、そしてチームワークを形成しパフォーマンスを上げるには、一人の労働者が主体的に関われる領域を意識的に作ることが重要だと思う。なぜなら、素材なり他人なりを対象に何ごとか働きかける営みとは、自分はどういう立ち位置で、何を要求されていて、何を選択し、どう変化すればよいか、自ら理解して実践することーその試行錯誤ーの繰り返しだからだ。介護や育児など、徹底して相手に合わせてがんじがらめに見える行為でさえ、否むしろそういった行為にこそ、相手に合わせて自分で自分を変えられる枠や余白、自由がなければたちまち行き詰まる。

そういう自由を取り戻したくて、私は別の場所を歩むことにした。資金の問題はあるけれど、今日こうして書いてみて、これがあらためて気づいた動機であった。